私なりに物理学について一言で言うと、「いろいろな事象を予測できるようにするための学問」。いろいろな事象を予想できるようになるためには、ある事象を何度か観測して共通パターンを見つけ出すことにある。そして、その共通パターンから事象が発生するための変数から数式を作り、将来起こりうるであろう事象を予想する。
例えば、昔は摩訶不思議な事象であったとしても、だんだんと事例を積み重ねていきパターンが見えてくると、事象について説明ができるようになってくる。地震であれば地殻変動や断層の歪などを観測することによってある程度の予想をすることができるようになるのだろうし、天気に関しては翌日の天気はほぼ言い当てている。天体では、星の寿命までおおよそ言い当てることができるようになってきているらしい。このように、事象のパターンを観測し、ほかの事象に当てはめて、将来を予想することができるというものが、おおよそ物理学の探究なのだろう。
そして、工学について一言で言うと、「世の中を便利にするための学問」のように感じている。明日の天気を予想するにしても、過去のパターンからスーパーコンピュータで算出をして予想するようであるが、スーパーコンピュータがなければ経験と勘から予想をする。経験と勘よりも精度を上げるためにスーパーコンピュータを用いられるのであるが、これを作るにしてもやはりコンピュータの学問が必要となる。このように世の中を便利なものにするための学問が工学ということになる。
工学の進化によって、電車が速く走り、飛行機が飛び、ロケットが宇宙を行くようになった。そして、情報を伝える速度が上がり、マウスクリックで買い物ができるようになった。
物理学や工学で、どちらに進学するかを迷っている人もいることだろう。そういった人に対しては、どちらの学問を選ぶかということの前に、「どれだけ多くの人のために学問を学ぶか」ということを念頭に置いてもらいたい。
工学を探究するのであれば、便利な世の中になればたくさんの人から感謝をされるということで、直感的にわかりやすい。例えば、介護ロボットを開発したとしたら、たくさんの人から感謝されることだろう。
物理学の探究については、精神性の追究がたくさんの人から感謝されることになるであろう。世界的に見て物理学者の95%の人が神の存在を信じていると言われている。この世界は神が作られたものであり、神が作られた法則を解明していくことが物理学者の使命でもあるとされている。物理学の究極でもある真理を発見するということもまた、多くの人のためになるだろう。