「一切皆苦」の意味を少し考えてみる。

 

 

お釈迦様は、世の中の一切は”苦”であると説きました。

この言葉をそのまま受け止めてしまうと、

世の中は苦しいことばかり、楽しいことなんて一つもない

みたいな否定的な意味で捉えてしまいそうです。

ここで、お釈迦様が言いたかったことは、

本当はどんなことなのか少し考えてみたいと思います。

 

 

まずは、苦(ドゥッカ)という単語について考えてみましょう。

この”苦”というのは、「パーリ語」という

古いインドの話し言葉の漢訳です。

苦というと、苦しみや悩みを感じており、

肉体や精神に負担がかかっている状態です。

また、パーリ語の「dukkha(ドゥッカ)

というのは、元々は「悪い車軸の穴」のような意味であり、

乗り心地が悪い状態を指す言葉から、

不快な状態を表す意味になったそうです。

さらに、これ以外にも不完全という意味を含んでいるようです。

ですので、今の日本語で意味する苦しいという意味よりも、

少しニュアンスが異なっているように思えます。

 

 

また、一切皆苦は一切行苦と正しくは漢訳されます。

この元になった言葉は、ダンマパタ(法句経)にあります。

 

一切の形成されたもの(行)は、苦である。

智恵を持って観る時に、人は苦から厭い離れる。

これが清浄への道である。

 

という文言です。まず、行というのは、

パーリ語で「サンスカーラ(潜在印象)」という意味で訳されます。

因縁によって起こる物事、条件付けによって起こる現象です。

もう少し噛み砕いてみると、「何かをしたいという衝動」になります。

この何かをしたいという、何かを埋めるため・満たすために、

行動(業、カルマ)を行います。

また、厭いというのは、嫌がって避けるという意味です。

 

 

つまり何かをしたい、何かを欲するという状態になり、

心が不快な状態になるという意味です。

「何かしたくなる」というと乱暴かもしれません。

要するに、何かを見たり・聞いたり・考えたりすることで、

何らかの反応をするという意味です。