(↓少し重い話を書いています。いま気持ちが落ちている方は、
今回は読まないことをオススメします)
熊本と大分の地震には本当にびっくりした。
熊本には、フラメンコを習っていたときに同じクラスだった友人が結婚後から住んでいて、0歳の赤ちゃんと共に被災した。ダンナさん不在のなか、一時避難したり家に戻ったりを繰り返したあと、安全な実家に戻ることができたそうだ。
311のとき、うちは東京だというのに棚があちこち倒れたりとバタバタになり、半日かけてひとりで掃除や片づけをした。あのときの東北や、いまの熊本や大分の被害に比べれば全然たいした経験じゃないけど、ああいうことを赤ちゃん連れでやっているなんて!と想像しただけで背筋がゾクッとした。SNSで少しやりとりしながら、涙がにじんだし、ドキドキしたり、ほっとしたりしていた。
まだ九州は余震が続いていて、避難所では大勢の方が困っていらっしゃることだと思う。とりあえず募金はした。それくらいにしか今の私にはできることはないけど、とにかくまずは早く地震がおさまることを祈るばかりだ。被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
ところで、話はかわるけれど。
友人のひとりが自死した。
きのうメールで知った。
私より少し歳上の男性で、何度も皆で呑んだことのあり、気持ちの優しい、子どもと遊ぶのがうまい人だった。ここ数年は数えるほどしか会っていなかったこともあり、なぜそういうふうにいたったのかは私にはよくわからない。彼は独身で、ご家庭の事情もあり、通夜や葬儀は特にせず、きのう身内で荼毘に付されたそうだ。
しかし私は彼の死について、まだ一滴の涙も流していない。被災した友人のことは、あんなにドキドキしたり心を痛めていたというのに、こちらは「死」だというのに、この心の静けさが自分でも気持ちが悪い。
でも理由はわかっている。被災については(ほんの少しとはいえ)想像ができても、彼の死に至る光景やその理由となった何かは、おそらく私の経験してきたこととは別次元のことで想像も及ばず、そしてその死に方と彼のイメージも結びつかず、現実感が全くないからだ。葬儀にも出ないとなると、もしかしたらずっと現実感のないままに時が過ぎて行くのかもしれない。そうだ、悲しみというのは、現実感を伴ってはじめて訪れるものなのだった。
ただ、いまはぼんやりとした混乱の気持ちだけがあり、その混乱を整理するために、この文章を書いてみた。そしていま、文章に書いた「死」という文字を見たら、ほんのすこしだけ現実感がでてきて、泣きそうになった。でもまだ泣けない。もちろん、泣けばいいということでもないけれど。
彼のお母様や、もっと近しい友人たちはさらに深い混乱の中にいると思う。
とにかくご冥福を祈るばかりです。合掌。
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