日本人の多くは聖書を読んだ事も無い。聖書はこれからを生き延びる為の一番の羅針盤なのにね。イエス様の物語だけじゃなくて、これから世界がどうなっていくのか結構詳細に書かれてたりするの。例えば去年起きた様々な出来事が聖書的と報道されていたでしょう?例えば→
— hidy71 (@hidy71) August 25, 2021
この方の聖書解釈は極端な偏りが多く問題の有るものだと思いますが
引用する他の情報で興味深いものもあるので
情報収集の一環としてリンクを保存しておきます
リンクしているからといってこの記事に同意しているわけでは有りません
逆にほとんど間違っていると思います
ワタシが最も信頼している聖書解釈はSOStvです
が、それも全てでは有りません
人間のやることですから完全に一致することはないと思います
自分なりの考えと少し違うな、と感じることも所々あります
しかし、批判ではなく、自分ならそんなふうに感じる、考える
と言った程度のことで
自分の考えが絶対であり、それ以外のものは間違ってる
というような論戦を挑むようなことではありません
SOStvの
聖書の疑問は聖書で答える
と言う基本的な姿勢はまったくその通りだと思います
Twitterの方の聖書解釈の問題点は
聖書の解釈を聖書以外の情報で解き明かそうとしている点だと思います
そしてトランプが反キリストだとする自分の説にこだわり
(トランプを擁護しているわけではありません)
(何方かと言うとトランプ懐疑的かもしれません)
聖書に書かれている他のことを全て無視している点です
よく聖書予言を批判する人に
都合よく聖書の一部を切り取り当てはめているだけだ
という人がいますが
大変興味深いですが、聖書はかなりの量がありますから、そこから都合の良い部分をくり抜けば、まるで予言が当たったかのようにすることができます。
— John (日露平和条約推進🇷🇺) (@mariageu1) August 14, 2022
特に黙示録を時事ネタに照らし合わせるのは私もよくやりましたが、結局意味がないことだと思います。https://t.co/MrKNDmFdKj
そのように聖書に疑いを持ってしまう人が出てしまうのも
手前勝手な聖書解釈する人がいるのなら
無理からぬことのように思います
このように聖書に疑いを持った人の責任は一体誰にあるのでしょう
そのような責任のある人を神は裁きの時に放置するのでしょうか
この恐れを聖書の教えを伝えようとする人は
神妙に受け止める必要があるのではないでしょうか
聖書に疑いを持ってしまった方には
部分的なところだけにこだわらず
どうぞ聖書全体を通して
調和が取れた形で理解するように努めてください
と伝えたいです
そして聖書の疑問は聖書で答えを探すようにしてください
聖書は足すことも引くこともしてはいけません
そのまま理解する必要があります
更に付け加えるのならば
聖書は予言を目的としたものではありません
神を裏切り
神から離れて死ぬ運命を負った人類が
神から離れた自分の罪に気づき
神のもとに帰り
幸福に満ちたところに帰る
神による人類救済を目的としたものです
いくらりっぱな予言を考察したとしても
信仰がなければ意味がありません
聖書にある予言は
信仰を持った人々に
先々の出来事を知らせることで
その先々のことで人々が慌てたり驚いたりして
信仰につまづかせないようにするためと
聖書の信頼を聖書で人々に証明し
疑り深い人間が信仰に確信が持てるように
手助けするためのものです
聖書は予言が目的ではなく
信仰を持つことが目的なのです
その信仰とは
イエスが救世主であり
イエスの御言葉と戒めを守るところにあります
それを学ぶための書が聖書です
いくらよく当たる予言をしても
信仰がなければ意味がありません
ただ、聖書理解をより深めるために付随的に他の情報も取り入れることは有ると思います
良く利用されるのは考古学だと思います
聖書に書かれていたことを発掘によって裏付けし歴史的に事実と認識することは
聖書理解に今まで多く貢献してきた手法の一つと思います
またリンクしたTwitter記事のように
少しオカシナ解釈に触れるのも一つの方法でも有ると思います
それは何故その解釈がオカシイのかを聖書的に認識することで
自分の聖書解釈がより明確となる効果が期待されるからです
しかしあまりオカシナ解釈に触れすぎると
混乱してくる弊害も有りますので
この方法はあまり良い方法とは言えないのかも知れません
そんなふうに混乱してきた時は
余計なものは取り払って聖書に帰ることが必要だと思います
それでもワタシが他の人の聖書解釈に興味を惹かれるのは
東方の三博士の存在があるからです
東方の三博士はイエスの誕生を予言し
イエスの誕生を祝して貢物を持ってきた博士たちです
彼らはユダヤ教徒では有りません
それなのに救世主の予言をピンポイントで当て
生まれたばかりのイエスにたどり着いているのです
当時、誰よりも聖書を研究し、熟知していたはずのユダヤ教のラビは
そのことにまったく気づきませんでした
もしかしたらイエスの初臨でもあったことは
終末の再臨でもあることなのでは
と言う思いがあるからです
キリスト教とはまったく関係のない人が
イエスの再臨を言い当てることもあるかも知れない
という思いがあります
ですが
余り情報過多になるのは良くありません
予言を当てることが目的ではなく
信仰に基づいた行いが重要なことだと思います
自分はそこに大いに問題が有り
大きな課題でもあります…![]()
