スマートフォンは人びとの暮らしを便利にしたが、その一方で人びとを不幸にもした。
スマホはあまりにも多くの情報のシャワーを人びとに与えすぎるためである。
情報のシャワーを浴びた人びとは、自らに備わるありとあらゆる欲を刺激される。
例えばインターネットで新製品の家電の情報を得る。消費欲を刺激され、新製品を購入し、その欲が満たされる。
SNSでは、他人の幸せアピールが充満している。自己承認欲を刺激され、負けじと幸せアピール投稿を行う。そうして欲が満たされる。
欲を満たすのは良いことだが、問題はここに際限がないことだ。
欲を満たしては欲を刺激され欠乏を感じ、また欲を満たすの繰り返しのループにいつの間にかハマっていく。
これが資本主義だという側面がある。このループの過程こそ我々の物質的な生活水準を向上させてきたことはその通りである。
ポイントは欠乏を感じている状態こそ人間にとっての不幸と言うことである。
別に物質的な生活水準が低くても、必要最低限の暮らしでも、そこに欠乏を感じていなければ、充分幸福なのである。そこに多くの人が気づけない。
誰もスマホすら持っていなかった時代、たった30年前の昭和〜平成初期の日本、あの頃は幸せだったと懐かしむ人が絶えないのはそう言うことである。
現代の情報社会、人びとは不幸にも自ら情報の放射線を浴びにいく。自ら欠乏を感じ自ら不幸になっていく。
必要な情報をきちんと判断する能力を情報リテラシーという。まだまだこの国の人びとには備わっていないと思う次第である。