藤井風さんの「満ちてゆく」
何度もMVを観ていたら、深い気づきがありました。

 

 


以下、MVの内容展開を含めながらの感想です。
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MVには、4つの年代がありました。

余命間もない老人期
ピアノを弾く熟年期
サラリーマンの青年期
ピアノに出会う少年期

オープニングは、車椅子に乗る老人。
雪の中、ひとりで車椅子を回す姿には、
家族がいない孤独感を感じました。

もう人生に終わりが近づいているのを感じているのか
想いをノートに綴る老人。

人生を振り返るかのように、熟年期へ。
グループセラピーなのでしょうか
誰かに目を合わせることもなく、何かを語っています。

このあと同じ席に、女性が一人で座ります。
この時、男性が語ったことは、この女性についてだと思いました。
この女性について、想いが残っているから、余韻を残すような
シーンにしたのではと思います。

ピアノ弾きになった熟年期になっても
ふとその女性の幻想が現れる。
お客の反応から、ピアノの演奏を止めてしまったように捉えました。
それだけ、人生の中の長い間に渡って、深く強い想い。


そこからまた老人期になり、
水上へ、
水面下では、少年が手を放すシーンに。

ここは、水上に上がることによって、人間意識の世界から出て、
全ては自分が作った世界だったことを表しているように思いました。

水面下という自分の意識の世界で、
手放しが始まっていきます。

そして青年期へ
最初は明るい兆しがあったものの、
仕事がうまくいかず、
落ち込んだ電車の中で、また女性の姿を前方の車両で見かけますが、
女性は離れていきます。

そして、水面下でも、少年の手と、もうひとつ女性の手が映り、
手と手は、
離れていきます。

その女性とは、
少年期に、ピアノを導いてくれた人。
青年期のどん底の時に、ピアノを思い出させてくれて人。

女性は、水面下で、顔が映り、
歌詞にある、これでよかったと、健やかに微笑んでいるかのように感じました。


ここから、手放すものと対峙するかのように、

青年期、少年期、老人期のカットが交錯していきます。


女性の存在は、母のような大いなる愛を象徴しているように思いました。

そして女性が描かれた絵とは、

母のような愛ですら、自分の世界の中で自らが作ったものだったことを

表しているのではないでしょうか

それに気づいて、手放していく。

そう思ったら、泣けてきました。

「何もないけれど 全て差し出すよ」と歌詞にありますが、

その全ての中に、愛も含めてしまうのか・・・

壮大過ぎます、悟りの境地。凄すぎ・・・


 

青年期の教会のようなシーンでは、

母のような大いなる愛は、自分が作っていた理想であったことに

落胆もしつつも、気づきを経て、

手放して、そして軽くなっていく、

墓地での、何とも言えない微笑みは、まさに満ちた表情なのではと。

この笑みはとても心に残りました。



最後のエンドロールにもある墓地のカットは、

墓地と、電車が走っていく都市があり、

静と動や、死と生、

積雪地と緑地も対比を感じて、

雪が溶けてきそうな朝のような光も、印象的でした。



何回か観ていると、この最後の墓地のカットに
藤井風さんらしき人が、お辞儀をしているのを発見しました。
見つけた時は、うれしかったです。



藤井風さん、監督の山田智和さん、なんて素晴らしいのでしょうか!

この歌と、MVに出会えてよかったです。

私はいろいろな気づきを得て、衝撃と涙し、数日間経ても、余韻が漂っています。