人の大きな関心事は健康である。
健康あっての旅行である。
健康あっての恋愛である。
健康あってのスポーツである。
だから、
人は足しげく病院に通う。
60歳を過ぎたあたりから病院嫌いだった人ですら通いだす。
いよいよこれはもう駄目だ、もう我慢の限界だとなってから
病院にいったのでは最悪の事態が待っているのもマレでは
ない。
いずれは自分の会社に行くように通うのだ。
いずれは自分の家に帰るように通うのだ。
まぁ、それは極端の例かもしれないが
病院で様々な検査をして診断されるだろう。
医学の世界は統計の世界と言っても間違いではない。
厳密に条件を設定して人で実験することができないからだ。
どうしても確率の知識を使って検定をすることになる。
ここに感染者問題がある。
http://www.kit-rg.jp/rg2003/rep2003/rep1.html
別に感染者問題でなくても良い。
乳がん検診(マンモグラフィー検査)だっていい。
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20110706.html
http://www.hitachi-medical.co.jp/medix/pdf/vol35/P15-19.pdf
DNA型鑑定だっていい。
http://www.med.nagoya-cu.ac.jp/legal.dir/lectures/newest/forensic_genet.pdf
要は、
専門家の振りかざす確率という数字に直面するときに誤解せず、
自分のリスクをどうやって見極めるかということだ。
はっきり言って用語が不明だ。
陽性的中率なのだろうか?確定診断率なのだろうか?
一致率(チンパンジーと人は98.5%一致するの一致率?)なのだろうか?
用語の壁は確かにある。ただ、用語ならその場で聞ける。
確信に迫る頃には、息も絶え絶えに。
もうそれ以上聞く勇気は残っていない。
そして、
用語以上にリスクの捉え方が一生を左右する。
あなたの息子が、あなたの恋人が殺人容疑で裁判にかけられた。
被害者に突き刺さったナイフの柄から息子の、恋人のDNAが
発見された。
裁判官は専門家を召喚し、専門家はこう証言した。
A. この一致が偶然の可能性は10万分の1です。
B. この一致は10万人に1人です。
DNA型鑑定は決まった方法で実施されるはずにもかかわらずまったく
別のことを言っているように聞こえる。
これを
A. この一致が偶然の可能性は10万分の1です。
B. この一致が偶然の可能性は10万人に1人です。
と言い換えてみる。
幾分マシになったがそれでも印象が異なるのはなぜだろう?
きっと脳の仕組みによるのだろう。脳は頻度で確率を捉えるのかも
かも知れない。
さらに問題が複雑になれば、頻度で考えるやり方はさらに威力を増し
我々を救ってくれる。
複雑なマンモグラフィー検査を頻度で是非考えて頂きたい。
確率に比べて遥かに楽々と理解できるはずだ。
神経・行動経済学的に言うならば、
頻度で把握すべし!