最初の1歩。今の自分に至るまで。自己紹介。その①
こんにちは。初めまして!
偶然でもご縁があった方々に向けて書き綴ってみます。
初めてのことは、いつだってドキドキします。
(やったことないから
)
なんなら、
この絵文字とやら、矢印も初めて
使ってみるささやか過ぎるチャレンジもしています。
これ書くだけでもバカみたいに心臓がバクバクするのは、私がいかに普段自分のプライベートを発信してないか。に尽きるww
人様の感銘したブログをひたすら1年間以上〜
リブログし続け、ようやく自分という人間を自分のブログで勝手に語るという境地にまで辿りつけました。
これも、きっかけをくれた女性に感謝しかない。
ここまで読んで下さった方は、私は長い人だと
想ってくださいね。
発信に慣れてないと(してないと)
いざ書き出したとき〜想いが溢れてしまうのね
今気づいてます。![]()
![]()
前置きが長くなりました。![]()
→本題に入ります。
《なんか、なーんか、起業をしたいよな。》
と想ったきっかけ。
ちなみに、それを願っている発展途上の
伸びしろいっぱいな《今ここ》自分です。![]()
どうぞよろしくお願いします![]()
《以下プロフィールです👽✨》
関東圏の短大を微妙な感じで卒業
→
何になりたいかも分からずとりあえずフリーターの道だけは避けるため
就職氷河期と言われた
1999年(世紀末?)時代、奇跡の滑り込み?で新宿某デパートの時計部門に就職
新卒採用ということで4年半頑張って勤めましたが、深刻な体調不良により(これについてはまた気づきをあらためて書き出したいと想います)
退職。
就職中に先輩にススメられ、気づけば知らない間に天引きで貯まった(ブライダル貯金
)
とやらを全額使い果たすような傷心癒しのバックパッカー旅行に✈️出ました。ひたすら森とか田舎街を2ヶ月間だけでしたが、
ヨーロッパイタリアナポリから入り〜フランス最西端カンペールまで
これまたパワハラみたいな結構過酷な勤務をして辞めた傷心の身の友人と離職するタイミングが
バッチリ合い
《再生》の旅へと出たのでした…。
今の自分に至るまで②に続く。
初めての試みなので、読んで頂けるだけで
マジで嬉しいです。
みんな、こんなこと普通にやってるのね。
スゴイな〜![]()
前向きな明るい気持ちなので
初めてハイハイ
しだしたオカンの
ブログとしてあたたかい目(遠い目)
で読んで頂けると嬉しいです💜![]()
また、書き出します![]()
![]()
優劣など、ない。
本当に一瞬だから
その一瞬一瞬を切り取って
この目に焼き付けておきたい
儚いからこそ、もう、二度と
戻れないからこそ
大切にしたい日々がある
今が一番大切。
その泣きたいくらいの感覚を
ちゃんと体感しておきたい
味わっていたい
死にたいくらい自責めして
大変な時もあった
投げ出したい時もあった
でも私だけの体験、この生きる
姿を皆んなが見てくれていた
だから、救われた、頑張れた
自分がどんなに惨めな想いに
駆られていたとしても
人と比べて自分には出来ないと
諦めていたとしても
その自分の弱さやあるがままを
受け入れて
全ては飛び立つ準備だったと
時を経て気付き始めている。
専業主婦10年を社会不適合者的なちょっと軽蔑したような
子バカにしたような昔ながらからの親友の扱いを受けたとき
どうしようもなくモヤモヤして
最後に母親に話したとき
「◯ちゃん大変だったんだね。
苦労したんだね。」
と。
まずは、目の前に居ない彼女に労いの言葉をかけてくれた。
「外で自分の為だけに働くより
3人も子ども産んで専業主婦10年
やる方が、大変なんだよ。」
そう一言、言われた。
兼業主婦をやり、キャリアの第一線に立つことを諦めた母(元々目指してなかったらしいが)
自分のたった1つの短大で偶然取った資格で30年以上働いた。
定年を過ぎても生きる、
長いキャリアが重宝された。
福祉児童保育(身体障害者幼児教育)
私が幼い頃
同じ保育園内でしていたのだ。
(そう言えば…。)
私は鍵っこだった。
寂しくなかったと言えば、
そうじゃないかもしれない。
いつも1人でおやつを食べていた
記憶がある。
ボーッと、3チャンネル
(今のEテレ)を観て、
窓の移ろいゆく景色を
1人眺めていた
静かな感覚。
そんなもんだと思ってた。
彼女(母)は遅くても4時30分過ぎには帰宅してくれた。(多分)
だから、結局、安心だったんだと思う。
自分なりのペースで、敢えて非常勤を選び、長く働いた母。
家庭が第一だったから。と
私から観たら、本当にどちらも頑張り過ぎず、良い塩梅で
素晴らしいと思った。
今学ぶことが多い母の7割思考。
彼女は、少なくとも姉の育児を
含めて計6年間は専業主婦を
していたのだ。
幼い我が子の面倒に専念したかったのだ。自らの意志だ。
私が3歳から仕事に復帰にして、
それからずっと働きっぱなし。
父の事業が怪しくなったとき
母が家庭の大黒柱として家計を
支えていた時期もあったそうだ。
そんな母から言われた言葉。
自分がどんなに苦労してても
同じ苦労しろと言うのではなく
そうじゃなきゃ認めないと
言うのではなく
大変な想いをそれぞれしているんだと想像して
彼女(母)のように
どんな人の過去も労い、よく頑張ったね。と
褒めてあげれる優しい人になりたい。
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