誰が言ったか知らないが。通り過ぎるものを立ち止らせよ。そう言えば彼は大道芸人だった。逆立ちしながらお尻で割りばしを挟み、その箸先で5つの大豆をお手玉しながらでんぐりがえるのだ。それはね。僕も立ち止るさ。


それでも。それでもだ。人々は立ち止らない。イワシの群れみたいに前ばっかり見て闇の中に消えていく。そんな彼だから言えたのかもしれない。「闇の向こうには餌があるのか」と。


人々が無関心だとか、無感動だとか、感情が枯れてしまったとか。そんなことを言うつもりはない。だってみんなものすごい勢いで泣いて笑って転げまわっているではないか。皮肉を言ったつもりはない。実際みんなローラーコースターみたいな世の中を生きている。そこで発汗している。叫び回っている。それが無意味だなんて誰にも断言することはできない。だってね。


ある種の残酷さだとか。抜群のセックスアピールだとか。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーだとか。もう間違いない。人々は振り返るだろう。もしかしたらささやかな幸せだって提供できるかもしれない。


反面新宿の路上生活者に目を合わせる者はいない。「ガーナの貧しい子供たちに」って叫んだって誰も振り返らない。だからと言って人々の心がすさんでいるわけではない。複雑なのだ。そのへんのことは。とても。


で。立ち止らせよ。振り返らせよ。そんなスローガンっていうか。勝手に言っただけだけど。そんなものに意味があるのだろうか。その前に己の足が、前へ前へと進んでいってしまうことだってあるじゃないか。



Sing A Picture , Take A Song


        物欲が足りない

        もっともっともっともっと

        いいともいいんですとも

ここに一つある。欲望が一つある。所有したいという欲望が一つある。どこからやってきたのかはわからないが。こいつはどこにでもついてまわる。食いたいという欲望のように、眠りたいという欲望のように、こいつの胃袋は満たされるということを知らない。ブラックホールみたいな穴がおれの中にあって、ダイソンみたいに吸いこもうとする。取り込もうとする。限りなく。


 新しい洋服が欲しいとか、新しいカメラが欲しいとか。そんなかわいいことから始まって。それは物欲。そう、物欲。モノなのだ。すべてをモノ、つまり客体としてとらえようとして、幾多もの主体を客体化していく。人だって例外ではない。誰かの心を射止めたいという気持ちから生まれる性欲さえも。いつしか征服みたいな話になってきてしまう。それは資本主義の功罪でもある。


 そんな物欲がどこへ向かうのか。それはユートピア。全てが思いのままになる世界。平和で争いがなくて、みんな幸せで。おれはそんな世界が実現するとは思えない。おれだけじゃない。そんなのはおとぎ話だって誰だって知ってるだろ。でも。世界は。そこを理想郷として描きながら進化していこうとしている。もうその進化ってやつが生きる目的みたいだ。じゃあ、ぼくらは空を飛べたらいいのか。


変な話だが、全てが完璧で思い通りのユートピアに芸術はない。全てが美である世界に、新たな美という概念は生まれる余地がない。つまり、芸術は存在しえない。怖いのはね、世界はユートピアの実現に向けて、不要なモノは取り込まないってことだ。だからおれみたいなもんは捨てられる。