『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その116 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その116

第32回 災いの種

今回は初登場平賀朝雅(山中崇)について。その1。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」キャスト 平賀朝雅、山中崇 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 

 ナヨっとしたおかまチックなキャラで初登場した平賀朝雅。演じている山中崇は、朝ドラの『ちむどんどん』で主人公比嘉暢子(黒崎結菜)の夫青柳和彦(宮沢氷魚)が勤務していた東洋新聞の上司田良島甚内役のイメージが強くて、どうもしっくりと大河ドラマに集中できない(笑)最近のNHKは俳優の使い回しが激しい(笑)

 

山中崇 「ちむどんどん」田良島役 「ちょっと変な人にしたかった」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

(『ちむどんどん』での山口崇)

 

 閑話休題

 

 朝雅は、清和源氏の血筋、広い意味で頼朝(大泉洋)と同族。朝雅の父義信は、頼朝の父義朝時代から仕え、頼朝の信任も厚かった。母は比企尼(草笛光子)の娘。頼朝は比企尼を乳母としているから、朝雅の母と頼朝は義兄妹といえる。ということは、頼朝と朝雅は義叔父、義甥の関係といえる。今風に言えば、赤の他人かも知れないが、当時は乳母の関係が親子にも擬せられた時代なので、こうしたことが言えると思う。

 

 また、劇中でも描かれていたが、朝雅は北条時政(坂東彌十郎)と後妻牧の方(りく:宮沢りえ)との間に生まれた娘を娶っている。牧の方の娘を娶ったことが、後々の朝雅の運命を決めてしまったと言える。比企一族滅亡から一ヶ月後の1203(建仁三)年10月、朝雅は京都守護として上洛している。

 

鎌倉殿の13人>八木莉可子が大河ドラマ初出演 時政とりくの娘・きく 平賀朝雅に嫁ぐ(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース

(時政とりくの娘きく:八木莉可子:CMでよく見る顔)

 

 1204(元久元)年3月9日、三日平氏の乱(※1)が起こった。朝雅はこの討伐で功を上げた。この事件が、大河ドラマで描かれるかどうかは分からないが、この事件の発端に大きく関わったのが、山内首藤経俊(やまのうちすどうつねとし)だ。

 

 頼朝がまだ、伊豆流人だった頃、頼朝めがけて弓を射た人物。山口馬木也が演じた。自身は頼朝の乳母の一人であった山内尼を母に持っているにもかかわらず、頼朝の挙兵時の出陣要請を拒む。大庭景親(國村隼)が、上総介広常(佐藤浩市)に処刑される直前、泣き言を言って死罪を免れた人物だ。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10話。山内首藤経俊(山口馬木也)と大庭景親(國村隼・右)(C)NHK― スポニチ Sponichi Annex 芸能

(往生際の悪い山内首藤経俊:第10回 『許されざる嘘』の一場面)

大河】鎌倉殿の13人|山内首藤経俊役は山口馬木也!出演作も!【2022年】 | にゃんドラマニわん♪〜黒猫夫妻のドラマな日常〜

 

 経俊は、三日平氏の乱でもヘマをした。『鏡』1204(元久元)年5月6日条によると、彼は反乱軍の勢いに恐れをなして逃げ出し、朝雅軍と出会ったので、一緒に戦ったという。後、こうした経俊の動きは咎めの対象となり、伊勢国と伊賀国両国の守護を務めていた経俊は、その伊勢国の守護の任を解かれ、その職は朝雅に与えられた。

 

 朝雅はある事件(次の「その117」で書きます)で討ち取られた後、経俊は朝雅が務めていた伊賀国を返してくれと訴えた。元々は自分が治めていたのだから、というのがその理由だったが、幕府は認めなかった。なんとも諦めの悪い、鎌倉武士らしからぬ経俊だ。大河ドラマで経俊再登場ということがあるのかなぁ。(続く)

 

※1 三日平氏の乱

伊賀・伊勢両国で平家の残党が起こした反乱