『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その59
第13回 幼なじみの絆
今回は巴御前(秋元才加)について。
今話初登場の巴御前。一騎当千の女武将で義仲(青木崇高)の愛妾(当時、身の回りの世話をする女性を便女(びんじょ)といい、『平家物語』(『平家』と略す)義仲の便女と記す。)。今話では、眉毛がつながっているビジュアルにネットが騒ついたが、実は彼女の事はよくわからない。『平家』や『源平盛衰記』(『盛衰記』と略す)で、木曽義仲最期の場面に登場する位である。『鏡』には出てこない。
今伝わる巴像は相当脚色されたもので、鵜呑みにはできないが、『平家』巻第九「義仲最期」で、巴を見てみよう。皆さんも眉に唾をつけながら読んでください笑。ちなみに、今回、北条政子を演じている小池栄子は、大河ドラマ『義経』(2005)で巴を演じている。
(小池栄子は眉毛をつなげてない 笑:若い!)
義仲は、信濃から巴と山吹二人の女性を連れてきた。山吹は病気になり、巴は義仲に従った。色白で髪が長く、容姿端麗だった。女だが強弓を引き、騎上でも徒歩でも強者だった。合戦時には、鎧兜を身につけ、大太刀、強弓を持ち、大将として活躍した。何度も武功をたて、他に肩を並べる者はなかった。
今回の戦い(粟津の戦い)も多くの者が敗走、討死した中で、最後の7騎の中に巴はいた。さらに合戦は続くが、巴は5騎になっても残った。義仲は巴に「お前は女だ。どこへでも逃げろ。自分は討死するつもりだ。最後の戦いに女を連れていたと言われることは本意ではない。」と言ったが、巴は「強い敵がいたら、最後の戦いをお見せできるのに。」とその場に残った。
すると、武蔵国で剛力で有名な御田(おんだ)師重(もろしげ)が30騎で現れた。巴はその中に突撃し、師重の馬と並ぶと師重をむんずと掴んで馬から引き落とし、押さえ込んで首を捻じ切った。その後、巴は鎧兜を脱ぎ捨てて、東国の方へ落ちて行った。
(巴御前出陣の図:国立博物館蔵)
この後のことは、『盛衰記』巻三十五「巴関東下向事」に書かれている。
義仲から「自分の最後を後世に語り伝えよ」と命じられた巴は、落ち延びた。後、頼朝の命によって鎌倉に召された巴は、「天下無双の血を我が家に」と懇願した和田義盛(横田栄司)に娶られ、朝比奈三郎義秀を産んだ。義秀は母の血を引き、朝比奈切り通しを一夜で切り開くなど数々の伝説を残す猛将となった。和田合戦(1213)でも「神の如き壮力をあらわし、敵する者は死することを免れず」(『鏡』建暦三年5月2日条)ほどに活躍したが、討死した。巴はその菩提を弔うため出家して尼となり、91歳まで生きた。
※『鏡』では義秀は由比ヶ浜から船で安房に逃れたと記されている。
(朝比奈切通し:神奈川県鎌倉市十二所〜横浜市金沢区朝比奈町)
三谷幸喜は巴をどう描くのか?楽しみにしましょう!