太郎、無事に四十九日を迎えられました。
皆様、ありがとうございました。
よく、お葬式の日は故人の性格的特徴が出るような現象が起こるとは聞いたことはありましたが、(これはたとえば、いつもモジモジして優柔不断な友人の火葬場へ向かう時、友人一同の乗ったマイクロバスの天井が柿の木に引っかかってしばらく止まったなど←実話)太郎の場合も実に彼の性格そのままの1日となり、今更ながら驚いてます。
太郎、亡くなった日は朝ごはんも完食。おやつはちゅーるをこれまた急いで食べる。
でも、ここ数日、食欲は以前ほどではなく、たまに飲み込む時にためらうような仕草をみせてはいました。
この日の夕ご飯は、少し残したので、
「太郎、ままちゃんはお風呂に入って来るから、出てきてお腹へってたらまた食べようね」
これが生きている太郎にかけた私の最後の言葉になろうとは…。
髪を洗い終わった私がゆっくりとお湯にひたっているとけたたましく旦那君がバスルームのドアを開け、
「太郎がへん」と言ってまたすぐにバタバタと太郎の所へ戻っていくではありませんか。
私はビショビショのまま太郎の所へ行くと、まさしく太郎は最期の一息、二息、その二息目を大きく吸ったあと、まるでロウソクの炎が消えるようにスーーっと息をしなくなりました。
え?どういうこと?と思って太郎!と大声で呼び、旦那君はマウスツーマウスで人工呼吸を。
しばらく続いていましたが、心臓が止まったと諦め、代わりに私が抱っこするとまだ心臓は動いていました。
「動いてるって!!!」と言うと、「それは自分の心臓だろう」と言われてしまいましたけど、温かい太郎をあきらめることができず、しばらく柔らかく安倍川餅のような太郎を抱っこしてギューーーっと抱きしめていました。
まだ生きてる生きてると言う私に旦那君は「心臓は止まってる。認めろ」とガックリと告げました。
…太郎の性格は知る者ぞ知る「気が短い」こと。
その日は太郎はゆっくりと寝ていて、自分達もゆっくり支度をするつもりで普段着のままノンビリ、太郎に話しかけたりとまったりしていたのです。
すると、黙ってスマホを見てた旦那君が急に
「おい早く支度して高速の入口が閉鎖されたって。その車がみんな下道に降りてきたら予定時間に間に合わないぞ」など言い出し、
「そんなぁ無理だよぉ、だってこれから棺に移してお花だってきれいにレイアウトしようと思ってたのに」という私に
「早く、いいから早くして」ということになり、慌てて着替え、太郎を棺に移して取るものもとりあえず出発したのです。
なんだか気持ちを込める暇がなかったというか、棺のふたもパカン!とかぶせて安全とか、お花が偏らないようにとか、確認する暇もないほど慌てて家を出たのでした
よく太郎がお棺から飛び出さなかった
さらの時は息子さんがお経を読んでくださったのですが、この日は一番えらいご住職様が出ていらして、無事お経も終わり、控室でお茶をいれてくださったので、お蜜柑とお茶でご住職様とお話をしていると急にガラス戸がガタガタガタと震えだしてご住職様が
「あぁ、びっくりした地震ですよ。大型車が来たのかと思った」とおっしゃるので、注意しているとまたガタガタガタとすごい音がし、それは確かに地震でした
ご住職様とは日本の動物行政について話が合い過ぎて、ついつい熱く語り合ってしまいました。
こぶさらの時もそうだったように、あと15分くらいだろうと思った瞬間、火葬専門の係の人がガラス戸をガラっと開け、
「お骨の火葬が終わりました」と呼びに来てくださいました。
「えっもう」と夫婦でハモってしまい、
これにはご住職様も驚いて、
「あぁ、今日は多分午前中に一家族様あったので、炉が既に熱かったのでしょうね」ということでした。
まったく太郎は最後までせっかちな男でしたよ。悲しいはずの日が予期せぬ運びばかりで、あまりジットリ悲しまなくてかえって救われたのかもしれません
それからは、なにしろ我が家は骨壺が合計3つになってしまい、手狭になってしまい、新しい手元供養棚を壁面にほしいね、ということになり、IKEAに出かけたり色々動き回っていたので、太郎は少し寂しかったかもしれません。
今日までに
「これは確かに太郎がいるに違いない」と確信できることが2回起きています。
1回目は朝の5時30分頃。太郎の元気な一声
「ワン」と元気な一声です。私の状態は起きていたわけではないのですが、夢ではなく「起きぬけ」というタイミングだったのですが、夢というにはあまりに生々しく、声の感覚からこれは夢ではない、と思いました。
いつものままの元気な太郎の一声でした。
そして2回目は今から一週間ほど前、やはり早朝で時計を見ると5時40分。
今度はいつもの鼻を鳴らす声、ちょっと甘える時の声で、亡くなる少し前からはずっとこの鼻を鳴らしていました。
これはその音程がまさしく太郎だけの音程で、その声を聞いた時も私の意識は半分夢、半分現実という場所にあり、その鼻声を聞いて、今までの習慣から「きっとシーツが濡れてしまっててお腹が冷たいのだろう」と条件反射で太郎の寝ていた場所へ向かうべく起き上がりました。起き上がってから「あ、太郎はいないのに」と習慣というものがしっかりプログラミングされていることを悟りました。
そう太郎は私との約束をちゃんと守ってくれているのです
実は火葬の日は慌てて家を出たものの、「明日は火葬」という日に太郎にお手紙を書いて棺にしっかりそのお手紙を入れておいたのです。
太郎とは毎日あまりにもずっと近くにいたので、ひらがなも漢字も読めなくても、テレパシーで通じると思ったのです。
虹色の便箋に綴った太郎へのメッセージ
愛する太郎へ
これからもずっと一緒だよ。
こぶ兄ちゃんやさらちゃんやたくさんのお友達と遊んでもいいけど、母ちゃんの所にたまには戻ってきて、ずっといてくれてもいい。
いる時はどうかどうか母ちゃんにわかりやすい形で「僕、ここだよ」って教えてほしいよ。きっとだよ。
太郎、ママもパパもずっとずっとあなたのことを愛しているよ。さよならなんて言わないよ。
皆様、今年も一年、色々とお疲れ様でした。
どうか、良いお年をお迎えください