朝方放送されていた「池上章の20世紀を見に行く」より
映像はすべて米軍の資料だ。
兵力
米 70000名 死者2000
日 200名(空港建設当時・海兵隊上陸時)
日本軍援軍のうち
15000名帰還 死者25000名
(帰還兵のカウントは海戦で沈んだ船の捕虜なども含まれると思われる(私見)
ミッドウェー海戦で勝利し勢いを増した米軍、はじめて陸上兵力で日本兵と戦う。空港建設完了後、情報が現地人から筒抜けだった米軍がすぐさま占領。
日本軍は戦線を広げて補給線が欠如。 兵站無視の大本営。
対して圧倒的な物資の米軍。
南方拠点ラバウルまで1000km
餓死の島「ガ島」
海戦は互角 各25程度が沈没
ただし制空権を失っていた補給船は日本が圧倒的に撃沈される。
レーダーの性能向上により夜間の潜水艦も危なくなる。
翌年2月撤退。「撤退」は「転進」と大本営発表。
<ガ島 従軍復員兵の戦記>
ブログを拝見している「勇一三〇二」さんが紹介されている
ガダルカナル戦記~歩兵第228連隊 をこの放送前に読んだ。
山本正男会員が昭和42年に弁護士会報に寄稿した「ガダルカナル」の全文を下記に掲載致しましたのでご覧ください。
●昭和42年5月号 ガダルカナル(1)
●昭和42年6月号 ガダルカナル(2)
●昭和42年7月号 ガダルカナル(3)
●昭和42年8月号 ガダルカナル(4)
●昭和42年9月号 ガダルカナル(5)
●昭和42年10月号 ガダルカナル(6)
●昭和42年11月号 ガダルカナル(完)
<wiki>
ガダルカナル島
座標: 南緯9度37分 東経160度11分
オーストラリア、パプアニューギニアに近い
面積 5,336 km² (愛知県ほど)
最高標高 2,449 m
所属国・地域 ソロモン諸島
島内にアメリカ合衆国が建てた慰霊碑
ガダルカナル島 (英語:Guadalcanal) は、ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、餓島(がとう)とも呼ばれた。
位置 - 東経160度、南緯9度30分にあり、南太平洋西部のメラネシア地域にあるソロモン諸島の一つである。
面積 - 5,336km2、東西160km、南北48km。
地形 - 島の中央には火山がそびえ海岸線には珊瑚礁が広がる。
歴史 [編集]
1567年 - スペイン人探検家オルテガが「発見」する。出生地であるグアダルカナル(現スペインアンダルシア州セビリア県、英語:ガダルカナル)にちなんで命名した。
スペイン領グアダルカナルという名称の由来は、運河の川を意味する『Guad al canal(Guad = Wadi がアラビア語で「川」、al はアラビア語の定冠詞、canal はスペイン語の「運河」)』である。
1893年 - イギリスの保護領となる。
1942年(昭和17) - 日本軍が上陸し飛行場の建設を開始するがアメリカ軍がこれを占領。以後、日本軍とアメリカ軍との間で島内及び近海での激戦が展開され、第二次世界大戦(太平洋戦争)有数の激戦地となる(ガダルカナル島の戦い)。
1943年(昭和18) - 日本軍が撤退。日本軍の死者は約2万人と言われる。
1978年 - ソロモン諸島のイギリスからの独立により、首都が島内のホニアラに置かれる。
現在でも大戦の名残としてヘンダーソン飛行場(日本軍名ルンガ飛行場)の跡が衛星写真から伺える。
<あとがき>
史実を知ることは義務であると思う。
大本営発表=今の民主党政府発表と読み替えたらいい。