特別支援課とのやりとりが続いています。
が、もう横浜市教育委員会特別支援課とはお別れです。
おそらく、今日をもって。
↓これまでの折衝内容。
横浜市立特別支援学校は
知的部門の生徒の知的レベルが高め。
=肢体不自由部門生徒でも、日常的に交流することができれば友達ができるかも
県立特別支援学校は、
知的部門の生徒の知的レベルが重め
=普通に会話できる生徒との交流が期待できない
(知的に軽い子は分教室や、上記の横浜市立高等特別支援学校などに流れるため)
そこで、
バスの問題を(月40,000円負担)はさておき、
教育環境だけ考えた場合、
市立特別支援学校の肢体不自由部門に在籍しつつ、
知的部門の生徒と交わることができれば、
今の個別級のような生活はできます。
ただ、この問題を話しても話しても、
横浜市立特別支援学校は理解を示してくれません。
友達がいない学校生活がつらい、と言っても、
重心を差別するのか、
彼らも一生懸命目で会話している、
知的部門とは年に数回しか交流しない、
教科学習は提供すると言っているじゃないか、
だけです。
学校は教科学習するだけの場所、
そう思っているようで、
学校生活に友達が不可欠、とは思わないそうです。
私はそこは間違えていると思います。
友達と学び、集団生活を楽しめるのが学校、だと。
子供を見ていない教師や学校長たちだから、
子供の心に寄り添えていないんですよね。
子供にとって、この教育環境では何が問題か、
誰も、誰〜もわからないんです。
中学校、横浜市教育委員会特別支援課、
横浜市立特別支援学校、
先生たち皆。。。。
話しても、ふーん、で終了。
勉強だけではなく、学校で子供の心を育む、
そんなふうに感じる人がいない学校現場。
これだと不登校も増えるわけだ。。。
たまに学校にきても、その子が何で戸惑うのか、
なにで解決できるかわからない。
学校の先生が子供の心に寄り添えていない。
生徒をどういうふうに学校で育めるか。
なぜ思いつかないのだろう、
問題に着眼しないのだろう、と
毎日、毎日電話や学校で話しながら、悲しく思います。
卒業させて仕舞えば、それでお終い。
例え、その子が中退しようと、知らない。
そうとしか思ってないのです。
生徒へあからさまな好き嫌いが激しい先生も多いので。
あいつは中退したみたいで。
その後知りません、と平気で言えています。
私だったら、出会ったあの子達が戸惑い、
良い大人に出会えなくて将来に行き詰まったら、
手を差し伸べたい。
いちおばちゃんですら、そんなふうに思うのに、、
学校の先生や校長、教育委員会の人間たちが、
子供を想って進路を考えず、
とりあえず提出期日を守って、
適当に特別支援学校へ願書出して、
本人が行きたくなくても親が学校を無理やり決めて、
受験日面接で、「ここで学びたい」と言わせればいい、というのです。
唖然としました。
そこで3年間学ぶ、子供の気持ちは?
考えなくて当たり前だ、というのです。
学校生活に友達は必要です。
想って寄り添ってくれる大人も必要です。
それを「子供の成長に不可欠なもの」と考えられない、
自称「教育者」たちが、現場を仕切っている現実に絶望感しかありません。
夫が納めている多くの税金を返してほしいです。
何度話しても話しても話しても、
耳を貸さない横浜市教育委員会。
志願する気持ちがないならうちに来ないで
という言葉を特別支援学校、学校長からもらって、
誰が出願するでしょうか。
どこの有名私立学校の学校長なのかと、
公立の特別支援学校長の言葉に耳を疑います。
もう、頑張れません…。
横浜市立特別支援学校の締切は15時。
間に合わないなら受け付けません、とは
先程教育委員会特別支援課を通じて学校から回答があり、
私たちが求めた、
学校長の言葉の撤回と、
個別に合わせた教育の提供も回答がなく、
期限を迎えることになります。
肢体不自由の障害があっても、障害による区別をせず、
個々に合わせて豊かな学びを提供してほしかったです。
専門家たちが障害の差別や区別をしていること、
とても悲しくて、
彼らの生活を維持するために、その仕事があるのでは、と思います。
ただのいち保護者には、これまでの慣習を変えられず
力不足と情けなさを感じます。
全ての学校がバリアフリーであってほしかったです。
そうしたら、みんなと安全安心に学べたかな。
大怪我をする覚悟で、県立高校を志願するかどうか。
愚痴ですみません。