公立小学校入学から、現在の公立中学校と…
かれこれ8年ほど、
肢体不自由の末っ子と共に毎日登下校し、
校内で授業を見ていますが、
個別級はさまざまなレベルの児童さんがいて、
習熟度もさまざま。
常識的なことを教えなければいけない児童さんから、
学習面で遅れがある程度の児童さんまで。
そのレベルの差があるお子様たちを、
一つのクラスで教えることは不可能です。
鼻水は汚いよ、と言ってもわからず机に手で広げる子
立ち歩いて叫ぶ子、
座学が嫌で泣き叫ぶ子、
そのレベルに合わせて、
「障害児だからできないから大丈夫」と、
テストも受けさせてもらえず、
学校で勉強らしきことを積極的に個別支援してくれず、
ただ放置されるのが、個別級の優良児さん。
知的に重い子の刺激にはならないため、
同じクラスにまとめられがち。
ただ黙って座っていてくれる、個別級優良児童さん。
ただ学習に遅れがあったり、
自信喪失して少人数を求めてきているだけの子に、
こんな苦痛はありません。
個別級はレベル分けするべき、
そうお願いして、クラスを編成してもらっています。
小学校の時も、中学校も。
善悪もわからず、暴れてしまう児童生徒さんと、
肢体不自由で逃げることができない我が子と、
同じクラスにいるのは危険です。
肢体不自由の子は座学ができます。
よく話も聞き理解しますし、意見も言えます。
知的な遅れはありますが…。
なので、座学出来る子と、
善悪わからず座学ができない子とは、
分けるべきなのです。
なのに、特別支援学校から来た教師に多いですが、
これを理解しません。
障害だから、教育は無駄。
教えても無駄。
見守るだけでいい。
毎日学校に来るだけで、勉強だ。
意味がわかりません。
何を目的に指導していますか?
個別支援級なのに、個別支援計画に基づき指導されていません、
そのようなことを話してきたこともあります。
学校は学習する場所ではない、
この言葉は多くの公立中学校の保護者さんから聞きます。
私は先生方や教育委員会の方々にも話しますが、
「学校は集団教育を受ける場であり、
それは家庭では教えられないことです」
と。
集団の中でどう振る舞うか、
それを学べる場所です。
なのに、そのチャンスを活かさずにいるのは
時間の無駄。
学校に行くことで、得ることは大きいです。
緊張感、協調性、友情、社会性、我慢、時に苦痛、
全部は出てきませんが。
集団生活を経験することは、
自立にはとても大事な要素だと私は思います。
学校にいる時間は長いのです。
その時間をいかに有意義にするか。
個別級の場合、先生に大きく左右されます。
個別級はしっかりレベル分けをし、
「個人に合わせて自立のための教育」をしっかり行い
時にテストを受け、
「自信をつけた上」で、なるべく交流級にも混ぜて、
なるべく社会に馴染めるようにしたほうが、
その先の進路が大きく異なってきます。
そのために、家庭での努力を伝えることが必要です。
家庭で行っている日々のルールや勉強は、
学校と連携して共有し、
家庭内の努力もアピールすると、
腕の立つ先生なら、協力してくださいます。
個別級はレベル分け必須、
このことがなんとか浸透して欲しいです。