つらいです ⇒ つらいですよね


解ってほしかった ⇒ 理解されたいですよね



例えば、

このような共感を返すのは、

簡単です。


つらいです、理解されたかった、

相手のそのことを承認するのは

いとも簡単です。



その時は落ち着くけど、

「つらい」「理解されたい」

その根本的なものって、

延々と持ち続けるだけで、

繰り返されるだけです。


応急処置的な擁護やケアを

繰り返すうちに、

それを求めて本人は病気にしがみつく。



リスカが延々と繰り返されて、

そしてその対応にさえ、

不満を漏らす姿や、

「家族が解ってくれない」と

憤りを話している姿に、

リスカ当事者も家族の気持ちを

理解はしていないよね、と思う。


でもリスカ当事者も、

罪悪感もある訳で、

この構ってほしい中毒のように、

希死念慮が繰り返されるのは、

共感ではないと思うんです。


そうなるとどうしてあげたらいいのか?


何もしてあげれることはないのです。



寄り添ってもらうことを当然とすると、

その人が危ないんですよね。

適度に共感しながらも、

解決を提出していかなくてはならない、

それが介入だと思ってます。


自分で生きようとする力が弱い人に、

どう伝えていくかなのかもしれないです。



甘えられない病気なんだけど、

甘え方がいびっでもある病気です。


自分もある場面で、

それを実感してしまいました。


埋め合わせは明後日です。