20代?30代?

詳しい時期は忘れたけど、

母親との喧嘩の中で、

「あんたは小さい頃、公園の端っこで

 一人で遊んでいるようなコだったもんね!!!」

と言われたことがある。


脈絡がない突然の台詞に、

脳が真っ白になったのもあるけど、

「だから何?」という衝撃が大きかった。


優劣を競う場面なので、

勝ちのために私の欠点を指摘したつもり

だったんだと思う。

 

 

たしかに自分も

ダンゴムシとかアリとかで、

そうやって遊んでいた記憶はある。


母親が働いている近くの交差点で、

押しボタン式の横断歩道を

グルグルと渡っていたとかの

記憶もうっすらある。


かっぱえびせんさえ与えておけば

静かだった、とか、

手のかからないコだった、とか。



交通量も少なく、

団地の目の前の公園をこえて、

道路を渡ったところに幼稚園があり、

そこへも一人で通ってた記憶は残ってる。

今となっては有り得ないだろう。

 

でも一人が不安でなかった訳ではない。


幼稚園でみんながワーーーと

運動場で遊んでいるところを

カメラクルーが撮影するなどの場面では、

どうしたらいいのか解らず固まってた。


小学生低学年では、

一人で帰るのは不安だけど、

誰かに声をかけるくらいならば

一人で帰った方がマシだと思ってた。

声のかけ方が解らないのもあるだろうが、

断られることに怯えてたのかもしれない。


1学年が200人くらいいた

マンモス学校だったので、

引っ込み思案な一人として扱われてたんだろう。

 

 

中1で引越してからが、

いま思うと地獄だった。

友達という友達はできない、

できるとしても

あんまりよくないような人だとか、

合わないような人だとかで。

自然と離れたり、

ただグループに入ってたり。

いじめられかけたこともあった。


高校はデビューで

1年と2年はなんとか良かったけど、

3年は酷い目にあった。

一緒にいてほしいと頼まれた人が

グループ壊していって

別のグループつくった形。

ぼっちが復活して苦しくなった。


だから地元の友達とか、

学生時代からの友達はいない。

なんとなく友達がいない人と

つながってたが切れた。


親友とも絶縁状態になった。

おそらく相手も自分と同じ

ASD的要素があった。



30代では彼氏もおらず、

同僚と遊ぶこともあったけど、

ここもやっぱりゆくゆくは離れた。

一人遊びが楽しかった。

 

 

40代で一人暮らしから、

結婚し、

そこから泥沼になって離婚。


関係依存だったので、

離別してからも、

しばらくはいろいろと問題を抱えた。


いまも対人関係性の問題は

どうしても起こる。

 

 

もう私は一人なんだろうと思う。

 

 

一時期は孤独の不安でキツかったけど、

そこからだいぶん脱してきて、

また過去の「ぼっち大丈夫」な自分に

戻ってはきたので安心している。

  

 

過去は「ぼっち」とはいっても

原家族の中にいながらのぼっちが、

今は原家族と絶縁しての、

「本当のぼっち」であるので、

そんな中で障害や孤独と向き合いながら、

生きていくしかないのが、

ほんとツラいな〜と思うし、

これからいくつもの大丈夫なフリとか、

トラウマとかを上手くやりすごして

いかないといけないのだろう。

 

 

不必要な生きづらさを

抱えたものだと思うけど、

ぼっち外食も、ぼっち回転寿司も、

ぼっちお出かけも、

そんな嫌いではないので、

こんな感じで生きていくのだろうと思う。