私がまだ無名でテレビの仕事をしていた頃のこと。
日テレの「われら青春」の仕事をしながら、
フジテレビの「家族対抗歌合戦」のアシスタントを
していました。
番組は芸能人とその家族が、ほかの芸能人家族と
歌で戦うというものです。
私はアシスタントでADさんのような仕事です。
マイクのセッティングや芸能人のご家族の誘導など、
リハーサルから立ち位置確認をし、本番でスムーズに
動けるようにチェックする気の抜けない仕事です。

番組のプロデューサーから直に頼まれ
引き受けたんですが、私はドジ子なんです。
時々、ステージでつまずいたり
スタンドマイクを倒したりとドタバタしてました。
それでもプロデューサーは笑っていました。
怒られたことは1度もありません。

失敗するたび、私がしょんぼりしていると
いつも萩本欽一さんが「大丈夫だよ」
と声をかけてくださって、
ハラハラドキドキしながらも、温かく見守っていました。
まわりの方に恵まれて、皆さんが優しく接してくださいました。
スタッフの方もみんな優しくて、
あるときスタッフの男性が私に話かけてきました。
私も楽しそうに話していると、どこからともなく
萩本さんがスーと寄って来て、そばにピタッと張り付きます。
悪い虫がつかないようにガードしてるんです。
まるで父親が娘を守っているようです。

私が女優として大成したのを一番喜んでくれたのは
萩本欽一さんでした。
しばらくお会いしていませんが
先日NHKの特番を拝見していたら、
体調がよくないようで、とても心配です。

そして、その番組で審査員をしていたのが古関祐而先生です。
古関先生は腰が低くて、優しくてお茶目な方です。
番組で私がそばに立っているとき
なぜか古関先生が下をキョロキョロし落ち着かないようすに、
どうされましたか?声をかけると、
マイクの先についてるスポンジの頭を
どこかに落としてしまったんです。
私が下をあちこち探しまわり「ありました」と見せると
古関先生は、うれしそうにありがとうと言ってくださいました。
私がマイクの頭に取り付けると、
ホッとして、ニコニコ顔になりました。
御高齢でしたので本番中、先生が困ったときは私がサポートし
それが私には、とても楽しかった思い出です。
笑顔がとってもチャーミングで、
いまでも、はっきりと覚えています。

古関祐而先生が作曲した「モスラーの歌」は
私が始めてみた映画「モスラ」の劇中歌です。
双子のザ・ピーナッツが歌い、こどもの頃よく歌っていました。
皆さんが運動会でよく聞く「スポーツショー行進曲」も
古関先生の作曲したものです。
「六甲おろし」も、いまでもみんなに愛され歌われています。

音楽を愛した古関祐而さんの物語が
3月30日からNHKの朝ドラ「エール」がスタートします。
とても楽しみにしています。