被疑者死亡による控訴棄却 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)220732号

「被疑者死亡による控訴棄却」

😇戦後ニホン政治の最大の悔悟は、ヒロシトの戦争責任について論議がなされなかったこと。と言うより、先のアジア侵略戦争の責任に関してまともな総括が行われず、国民に何らの報告がなされず、今日まで続いていることである。なぜにニホン軍はアジアの民を虐殺し、国民を戦火の下に置き、犠牲を積み上げながら「国体護持」を第一にしたのか?そして、次なる悔悟はあほシンゾウを生きて監獄に送り込めなかったことである。

💔戦前、検察、警察が戦争犯罪に加担〜というより主謀〜の象徴人物が平沼騏一郎と正力松太郎。大逆事件、大杉栄虐殺でのお二人の大活躍ぶりは「スポーツ紙1面トップ」もので、ニホンの軍国主義化への地均しがこいつらの最大の功績であった。特別警察が各報国会を手下に、非国民と国民一般の日常生活を監視して、不自由を満喫できる、滅私奉公、お国のためなら命もいらぬ〜そんな治安警察国家を作り上げた功績はおそらくこの2人が最高だ。加えて、その直後、ニホン皇軍が侵略戦争にのめり込み、挙句、アメリカに原爆実験の餌食とされ、日本国民が犠牲となったなったのはこいつらの罪である。

💤こいつら=戦争犯罪人は2人以外にも大勢いる。もちろん、ヒロシトをはじめ政財官、新聞、教育界で「欲しがりません勝つまでは」と言いながら、飽食の日々〜コロナ禍でもそんな政治屋がたくさんいたっけ〜を過ごした偉いさんは佃煮ほどいた。しかし、そいつら戦争犯罪人は一部の軍人を除き、起訴猶予とされ、あまつさえ戦後の政財官,マスコミ、教育界に復帰して、ニホンの戦後社会に再び悪の花を咲かすことに専心してきた。長期の高度経済成長を達成し得たとして、何やら再び、戦争がしたくてたまらなくなっているらしい。これらは、すべて原爆~敗戦の折に、戦争責任についての議論を封殺されたことに起因している。

💦ニホンの権力者どもが、経済成長の実りを消費、甘受することなく、またゾロ戦争ゴッコに心を動かせる理由は80〜90年代の辛い体験にある。思えば、現在の中華帝国のように86〜92年あたりの世界情勢ハ、ニホンがアメリカを退治して、世界の覇権国家に、円を基軸通貨に変えても何の不思議もない、そんな気がした。71年の金兌換停止に続き、80〜90年代の米は大借金を偽ドル発行で凌ぐしか手のない未曾有の米ドル危機に直面していた。働きもせず博打、抗争に明け暮れていては、当然の凋落、財政破綻なのだが、この瞬間、覇権国家アメリカは組織暴力団国家に変身した。

😢じつは、アメリカの死の淵からの復活は、自力本願ではなく、競争相手のソビエトの自壊と、舎弟頭のニホンの輸血によるもの。為替をちょっと誤魔化し、日本人労働者の労働価値をドーンと下げただけ。麻雀のそれまでの大負け分を、最終チャンにレートを倍にして、一言「いいなわかっているだろうな」と八百長負けを強要すれば、ニホンが積み上げた輸出利益、海外資産の値段は暴落して、債権大国、海外資産大国ニホンが原爆投下のヒロシマ、長崎のようにすっかり消えてなくなった。明日の覇権国家ニホンが翌日には失われた30年の旅路を始めることにあいなった。そして、政官財のお偉方は考えた。自前の軍人力を持たないと、いずれアメリカにカスリを取られてしまう。くそぅ、憲法9条が邪魔だ。なんとかして、法律で戦争のできる国にしないと!

😏そう考えたのが、あほシンゾウ兄ちゃんだ。法学担当の教授から頭の悪さはお墨付きのこの兄ちゃんはまともな論理思考ができるはずもなく、ただ、直感で「戦争をしなくちゃ」と思った。「爺さまの夢を実現する」の一念で、ひたすら戦争のできる国を目指すことになる。当時、(誰でもよかった。ただ、なんとなく人が殺してみたかった」という少年少女による理由なき殺人事件が多発していたが、あほシンゾウと同じ自己肯定感を喪失した若者と馬鹿者たちの時代疾患ゆえと思われる。性格的には思いつきと嘘を骨格に、政治家三代という出自が独自の人格形成に影響した。

✋だが、庶民にとってのあほシンゾウの人格は政治屋としてのそれである。ヤクザ組織やカルト教団と近しく、拉致問題に際しての思いつき言動に始まり、森友、加計、さくら、火炎瓶事件、大腸炎詐病、五輪、あほのマスク、学校閉鎖、共謀罪、戦争法、さらには極め付きのあほノミクスには、理論の裏付けもなく、要は思いつき政策であり、それは当然のこととして成果を伴わない、結果ゼロ点の政治活動でしかなかった。いわば、あほの出世階段となった拉致問題の救う会集会で、関係者からあほに対して罵声が発せられた事実をみれば、政治を単なるパフォーマンスとして政治を淫してきたかがわかる。政治家としてのあほシンゾウは、国家転覆罪で訴追されるべき犯罪人である。死刑相当のこの国をダメにした重罪人である。多くの国民にとって生きて監獄に送るべき者であった。

😷あほシンゾウが暗殺された。海外の報道は安倍暗殺と表現している。カルト教団絡みのテロ事件との扱いはニホンだけのようだ。検察、SPらの警備態勢の不自然さは、警備当局もあほシンゾウの暗殺を了承していたとの解釈も成り立つ。時、参院選の大勝のあと、一挙に9条廃棄、法律で戦争をできるニホンにするための国民投票、憲法改悪が維新、酷民君主党の擦り寄りで遅くとも3ケ年以内に実現する運びになっている。いまや、あほシンゾウのイメージは戦争と直接つながりマイナスでしかない。戦争責任に蓋をしたまま、時勢を得てを憲法改悪まで突っ走るにはあほシンゾウは邪魔にもなる。被疑者死亡による控訴棄却は、国体護持を第一に戦争責任の論争を封じた者と同じ利益構造をもつ。

😁というわけで、沖縄慰霊の日に7歳の女子が朗読した穂菜さんの平和の詩を思い起こしてほしい。(こわいをしって、へいわがわかった)の「怖いを知って」とは、記念館で遺品を見たことではなく、なぜ昔のニホンがアジアの人々に侵略行為、虐殺行為を働き、多くの国民が爆撃や原爆で死んでいかなければならなかったのか?誰に戦争責任があるのか?を論議がしなければいけないという意味である。7才の子どもが理解し得ることが、いま自公維新酷民、連合に連なる大人にはわからない。いや、わかっていても戦争で得られる莫大な利益に心を握られているのだ。暗殺される前に、あほシンゾウを訴追、監獄に送り込んでいれば、戦争を待望する大人たちの心証が明らかになったはずなのだが。戦争責任の論議がニホンの再生に連なる唯一の政治課題なのだ。