恵比寿に行くと全体主義が見える | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)220417号

「恵比寿に行くと全体主義が見える」

😱JR恵比寿駅の案内看板からロシア語表記が除かれ、数日して民衆からの疑問視の声におされて再びロシア語看板が復活した。そもそも、ロシア語文字の上に紙を貼り、(見えなく)した理由が、複数の利用客がロシア語表示に(不快)感を抱いたためだ、そうだ。ロシア軍のウクライナ侵略に義憤を感じていたのかもしれない。

✋こうした世情をどう見たらいいのか?愧ずべきクレーマー野郎と哀しむべきか、まだまだ良識派も生き残っていると安堵すべきなのか?いまコロナ禍とウクライナ戦争によって、日本の中に全体主義と国家主義の心理が蔓延している。ただ、それは日本という国家意志と一部のニホン人の中にである。

😷1848年。欧州革命を機に成立した国民国家あるいは民族国家は近代化とともに発展した。いわば資本制生産と、封建君主制に替わって誕生した国民国家は一卵性双生児である。この新たな国家が担う英、仏ら先進資本主義国の政治意志は植民政策であって、侵略戦争の遺伝子は細胞内に保存されている。遺伝子プロモーターが活性を得れば、国民国家は直ちにタンパク質ならぬ、兵器と軍隊を作り出す。

⚡️近代以前、ヒトは誰も自分をニホン人、ロシア人などとは認識していない。土地に、地域共同体に帰属して、自己の再生産に必要な生活用品を生産、確保できれば、国民国家など意識片隅にも生まれない。いや、そもそも国家自体が実存しない。想像の共同体に過ぎず、言語、土地、文化等を共通の絆とする人々と解説されても、徴税や徴兵の場合以外、目の前には登場しない。

💔暴力が身に纏う法人格が国民国家。マルクスの三位一体説の批判をもじればそうなる。国民国家の収入が帰属民?からの徴税と、他国財産からのの恐喝となる。ヤクザ組織がまともな生産活動を行わないのに、立派な看板を掲げているのは、国民国家と同じく暴力、賭博、詐欺、クスリを本業としているためだ。だから、ヤクザと国民国家は二卵性双生児である。

💦さて、生物学ではヒトは遅くとも1歳までに「自己-非自己」を確立する、と教える。免疫機能の基礎となる自己-非自己の(意識)は、侵入してきた非自己を異物として食作用で退治する。恵比寿のニホン人はロシアに異物を認めて、ロシア語看板の排除を目指した。プーチンでも、ロシア軍でも、(ロシア)自体が嫌ったらしくなった。戦時中の野球用語のように、敵性語禁止を、とでも考えたのか?(よし一本)

😢女帝ゆり子が関東大震災の際に、官憲、軍と流言飛語に踊った一般人により虐殺死された朝鮮人、中国人犠牲者への追悼挨拶を拒絶して5年以上が過ぎた。どうやら、ニホンが戦争犯罪に関わった歴史に触れたくないらしい。当時のニホン人が全体主義、国家主義の流れに抗せず、軍のみならずニホン民衆が国家意志で推し進めた侵略行為に加担した歴史をだ。

😡石原莞爾が提唱した総力戦は、国民総動員体制の法制化と、全体主義、国家主義の徹底を必要とした。さまざまな政策が動員され、一億国民の日の丸に送られて関東軍らが侵略戦争に赴いた。いまのロシアとどこが違う。恵比寿駅のロシア語看板に不快感を抱いた民衆は、明日、日米の国家意志が朝鮮有事に転じれば、間違いなく「嫌中嫌朝」に転ずる。ロシア人はウクライナ人と同様に戦争を望んでいない。戦争を策するのは唯一、国民国家だけである。

✊暴力が身に纏う法人格は国民国家である。その政治意志は植民政策で、その形態はヤクザ組織と同じ。戦争が総力戦化した現在、国民を全体主義、国家主義で束ねる必要がある。あほシンゾウ、女帝、自公維新ら新自由主義が纏うチンピラの政治意志は間違いなく再びの侵略戦争を目指している。すでに、ニホンの民衆はそのための全体主義を容認している。恵比寿に行けば、ビールを呑まずともそれがわかる。