経済制裁は資本による戦争挑発 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)220310号

「経済制裁は資本による戦争挑発」

😳今川らの甲斐国への塩の輸送停止に対して、上杉が武田に塩を送ったのは無論、無償ではない。だから(敵に塩を贈る)ではなく、(敵に塩を送った)ことになる。ただ、謙信は越後商人にこの機に乗じて暴利をむさぼらず、適正?利潤で塩を売るよう命じただけだ。

✋今川らの狙いは経済制裁。甲斐には海がない。生活必需品、生命活動に必須の塩の供給を絶つことで、住民の生命を脅かし、生活不安を煽り、武田の支配との離反を広げようとするもの。米軍がわざわざ油脂性爆弾を投下、木造住宅の火災被害を長期化させることでニホン人の厭戦意識を強めようとしたのと同じ。だから、経済制裁はすべて戦争行為である。

💔しかし、謙信はそう考えなかった。いくさは兵馬の争いで軍人同士が力量を競うもので、任侠道の親分よろしく、決してシロウト衆に迷惑がかかってはならないものであった。土地と労働が富の源泉であった時代の戦争はそうであったのだろう。そこには英雄譚が生まれる素地があった。いくさが土地と労働力の強奪を目的とするとしても。しかし、ここに商売と金が介入してきた。戦争はむき出しの金儲けになった。

😇20世紀は戦争の歴史である。ここには2点の間違いがある。正しくは、近現代史は戦争と革命の歴史であり、その起点は1848年に求めねばならない。48年の欧州革命は、国家による戦争が騎士道や武士道などの厚化粧は不要で、生産手段と労働力の暴力的支配をどっちが所有するかの問題で、それに対して労働者が「ふざけんじゃねぇ」とはじめて怒りを発した年である。

😢しかし、労働者の非戦、不戦の主張が国の暴力で圧殺され、加えて、兵器産業の強度化がより戦争をむき出しの金儲けの手段とし続けている。いや、戦争技術の高度化が核兵器やIT兵器の開発に金をかけ過ぎて、いまや兵器はがん細胞化しており、治療行為そのものが死を近づける結果になりかねない。

💦商人資本は、資本を市場に投げ入れ=商品を購入し、それを売ることで生産資本が作った剰余価値を実現し、その一部を投げ入れた資本とともに回収する。三木谷が手金庫の10億円を善意?でウクライナに贈った。無償だそうだ。令和の謙信か!でも、ゼレンは住民の逃散費用に使うことなせず、兵器に転用し、庶民の死者数を増やす。

💤資本家三木谷の個人の資本は総資本の運動として、兵器産業の資本蓄積に連なり、新たな兵器に作りかわり、台湾有事への登場を願うことになる。三木谷の善意がネオコン、ネトウヨどもの悪宣伝に有効活用され、さっそく核武装や軍事費1%枠のアドバルーンに転じる。戦争が金儲けであり、商人や金がここに介入すれば、武士道やら善意は、今川らの戦争行為を隠すベールとなる。

😱現代において、経済制裁は資本による戦争行為である。戦争挑発である。第一次大戦後、アメリカによる経済制裁は170件ほど。そのうち、50件がソビエト崩壊後の新自由主義の跋扈と軌を一にしており、その外交効果はゼロに近い。それも当然で、経済制裁の目的が戦争回避にあらず、新たな戦争に商業と金が介入し、生産資本として利潤を産み得ない不胎化資本(内部留保、投機資金)の癌死を1日でも長く伸ばすことだけを目的としているのだから。

💨ウクライナ有事は極論すればバイデンの中間選挙対策である。しかし。ウオール街の狙いの本命は台湾有事にある。連合、国民、ファーストの翼賛化に成功した自公維新らファシストらの参院選対策はほぼ達成、それどころか、ウクライナを機に核武装、9条廃棄まで言い出した。とすれば、非戦論の側からは、戦争に人道的、武士道的英雄譚はまやかしであり、すべての現代の戦争は金儲けを目的としており、とりわけ経済制裁が資本による戦争挑発であること。自公維新が戦争を待望する新自由主義を体現していることを発言し続けることが大事になる。