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戦中日記(続労人社だより)230412号

「啄木忌に歌う系図」

🌺明日、4月13日は、26才の若さで死んだ啄木の命日。111年も前のむかしの話しだ。死因は肺結核で、啄木の死の1月前には母親のカツが、さらに1年後には妻の節子がやはり結核で亡くなった。世界遺産の富岡製糸所には肺結核で死んだ多くの製糸紡績女工たちの亡骸が埋め込まれている。当時、結核は資本主義の不治の病であり、この国の富は若い女性の生き血でつみあげられた。だから、同じ時代の貧しさの中で、啄木一家は社会の疫病に命を散らされたことになる。

🌼その時代とは、タモリがいみじくも表現した(新しい戦前)であり、第一次大戦勃発のわずか2年1年前であった。とうぜんニホン国は遠い他国の地の強盗戦による大儲け(漁夫の利)を期待して、国あげて軍事色に社会を染め上げ、経済活動も軍需品、関連生産が活況を呈し、軽工業から重化学工業主体の一等国にまでのし上がることになる。1910年の大逆事件を通じて主義者に転生した啄木が書いた「時代閉塞の現状」そのままの社会が出現した。こうした時代では、国家にとって貧しい個人、労働者は単なる虫けらに過ぎない。

💐しかし、翌々日の啄木の葬儀には50人からの知人友人が参列し、その死を悼んだ。金田一京助をはじめ白秋、杢太郎、善麿そして漱石らが参列した。新聞報道したのは朝日だけだが、これは啄木が同社に校閲記者として勤務していたためで、一部に天才詩人と知られていたとはいえ、一般にはほぼ無名に等しい啄木の死は無視された。ぼくの関心は、彼が師事した鉄幹晶子、鴎外が出ず、漱石が参列した点。

🌻同じ会社の同僚とは言え、漱石と啄木との朝日での月とスッポン。漱石の虞美人草について(このくらいはいつでも書ける)評した啄木に文豪漱石の存在とは何であったのか?もし、鴎外の句会にではなく、啄木が木曜会に参加していれば、彼の小説作法に大きな影響があったかもしれない。結果、売れる小説が書ければ、結核医療費も稼げて、長生きもし、違う小説家啄木が新しい小説を発表したかもしれない。じつは、啄木と漱石は2度ほど面談している。1910年、胃潰瘍で入院した漱石を見舞いがてら、四迷全集の編集担当の啄木が教えを乞いに訪れている。

🌸1910年はニホン国の政治、経済、社会の転機であった以上に、啄木には思想的転生の年であった。家族を抱えて、食っていかねばならない啄木は短歌、詩歌を封印して、売れる小説、評論を書かねばならない。だが、何を書いたらいいのか?ロマン主義?、自然主義?ジャーナリストとして、大逆事件を経験した以上、(新しい戦前)の相貌を示した国家と社会と対峙して、面白い物語を書くしか啄木の転生はあり得ない。それが出来なければ、文学以外に生活能力を発揮できない彼は、親子を守ることも得ず、やはり貧しさの中、肺結核で一族死に絶えるしか選択肢がない。

🌹漱石論の数は邪馬台国論ほどの多さをほこる。言ったもん勝ちの面に加え、漱石の文学作法が近現代史そのものを対象に、国家、社会、家族、ジェンダー、法、階層、文化、風俗のすべてを動き、変化するさまを描いたからで。後の評者は単一対象に自分自身の視点を重なれば論文が出来上がってしまう。大逆事件後に、啄木が対峙しようとした対象は、1867年の御一新に生まれた漱石が体験し、格闘し続けた近現代史の全体像である。軍医官僚である鴎外が(新しい戦前)から視線を逸らし、歴史小説に沈潜したのと違い、(新しい戦前)に生きる人間を見つめてきたことになる。だから、啄木が明星、鴎外より前に漱石に出会っていれば、、、

🌷以上は噺のマクラ。ここからが本題。山田風太郎は歴史小説再興の人。(同時代に実在した人物が、もし出会っていたら、歴史は)どう変わるか?どう面白くなるのか?を実践した怪作家である。この作法がいろいろな作品を生み出した。それをやってみたいのだ!啄木が死んだ久堅町の家の近所にぼくの見たことのない祖父が、愛する妻と住んでいた。家督相続を放棄して富山の実家を出奔、印刷工として暮らしていた。年は啄木より4才下。ともに安月給の文なし。偶然町であって、一緒に酒屋の角うちで焼酎1杯を飲みながら、じっと手を見たに違いない。

🥀26才という若さでの死は祖父にはショックであっただろう。浅草の等光寺の葬儀に行き、参列者の面々を見て(あのにいちゃんは偉い人だったんだ。へぇ、わからないもんだな)と呟いた。それから2年の後、祖父の長男、つまりぼくの親父が生まれた。1910年に生まれた啄木の長男はわずか1ケ月足らずの短い命で死んだ。貧しさのせいだ。もっと稼いでこの子は丈夫に育てないとな。そう呟き、死ぬほど働いた。それから6ケ月、祖父は業務中、ビルから転落事故で亡くなった。22才の若さであった。親父は0才で家督を継いで戸籍上戸主となった。なんと!

🌷また、4月16日は高田渡の命日。ぼくは彼の歌う(系図)が大好きでよく口ずさんだ。♬ぼくがこの世にやってきた夜/女房はメチャクチャに嬉しがり、ぼくは狼狽えて質屋に走り/それから酒屋をたたきおこした♪その酒を飲み終わるやいなや、親父は一緒懸命/ねじり鉢巻死ぬほど働いて、働いてくたばった🎶じつは先だってぼくにも娘ができた。女房はメチャクチャに嬉しがり/ぼくは狼狽えて質屋に走り/それから酒屋を叩き起こした、のだ♬

🥸というわけで、(新しい戦前)に生きるぼくは、13日の啄木忌と16日の高田渡の命日には、酒でも飲みながら系図を口ずさんで、故人たちを偲ぶことにしよう。その前に質屋にでも行かなくちゃ。