鈴木由己頌徳碑 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

前回も掲載した海晏寺境内の写真です。

↓こちら。

 

 

 

鐘楼の奥に建てられている碑です。

題字は特にないようなのですが、

「叟姓鈴木幼名万次郎」から始まる碑文が、

正面から時計回りに刻まれ、

向かって右側面に辞世の句が記されています。

 

「わすれ霜 翁亭一河の 法の水」

 

この碑は、鈴木由己の頌徳碑です。

1709年に小倉藩士の子供として生まれ、

下関で佐野屋勘左ヱ門に改名。

寺子屋を開き、庶民教育に尽力しました。

また、詩や徘徊などにも通じ、

長府毛利藩第9代藩主・匡満とも親交があったそうです。

 

碑文を手掛けたのは、儒学者の小田亨叔(済川・泰)。

1746年に生まれました。

父親は下関王司の庄屋・勝原治左衛門で、

日本で初めて製糖を事業化した医学者である

永富独嘯庵の実弟です。

兄・独嘯庵と共に、京都で医学者・山脇東洋に学び、

長府毛利藩第9代藩主・匡満、第10代藩主・匡芳、

第11代藩主・元義の3代に仕えました。

28歳で藩医・小田雲同の養子となり、

1792年に創設された長府藩の藩校・敬業館の

初代学頭も務めました。

儒学者の小田南がい(圭)(「がい」はこざとへんに亥)は、

亨叔の養子です。

 

碑は1795年、由己が死亡した際に建てられました。

昭和8年(1933年)に現在地に移設されています。

 

場所は↓こちらです。