本源自照沙弥 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

 

下井田バス停の近くに「別当薬師如来」が祀られています。

 

話は、1557年の下関長府・功山寺に飛びます。

 

この年、大内義長が功山寺(当時・長福寺)にて自害し、

西国の雄・大内氏が滅亡しました。

大内氏の滅亡後、功山寺自身も一旦衰退します。

 

しかし、1602年、長府藩初代藩主・毛利秀元が再興。

一旦「笑山寺」と称するようになります。
その際、秀元が招聘したのが、

広島廿日市にある洞雲寺の三庭龍達でした。

 

その三庭龍達が隠居した後に住んだのが、

別当薬師堂だったということです。

 

 

薬師堂の前の方に建てられている

「本源自照沙弥」と記された碑です。

 

確認できておりませんが、「霜林良錦禅尼」「華岳妙蓮信女」

「俗名弥源」という文字も刻まれていることから、

華山で修行をした尼僧の墓かと考えています。

 

「本源自照沙弥」の文字の横に

「安正攵五戊午……」と記されているので、

安政5年(1858年)に死亡したと思われるのですが、

側面には「天保四年癸巳……」(1833年)とあったり、

逆側には「安政三辰……」(1856年)とあったりするので、

複数の人が埋葬されているのかもしれません。

 

場所は↓こちらです。