義民碑 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

下関市豊田町浮石にある亀尾山神社です。

明治40年(1907年)、浮石八幡宮に周辺の神社が合祀され

亀尾山神社となりました。

 

 

境内入口付近に建てられている「義民碑」です。

昭和13年(1938年)に建てられました。

 

「義民」とは「浮石義民」のこと。

詳細は、↓こちらの記事をご参照ください。

 

 

直訴を行った庄屋・藤井角右衛門らは、

浮石八幡宮の階段裏の床下で

決行に向けた密談を交わしていたそうです。

 

碑の題字は、下関豊浦出身で、

当時内大臣を務めていた湯浅倉平が、

碑文の撰文は、下関豊田出身で、

当時東京府立高等学校(現・首都大学東京)の

校長を務めていた阿部宗孝が、

設計は、後に長崎市の平和祈念像などを残した

北村西望が手掛けています。

 

場所は↓こちらです。