一昨日ご紹介した豊田町西長野の庚申塚から、
県道34号下関長門線に沿って北上すると、
次の地区(大字)・豊田町手洗に入ります。
その豊田町手洗にある庚申塚です。
石町バス停から豊田町中心部寄りにあります。
石町バス停の辺りでは、一旦、県道34号下関長門線が
旧赤間関街道北道筋から外れますが、
この庚申塚の付近では、再度両者が重複しています。
場所はこちらです。
さて、先日より数回にわたって、菊川町北東部~豊田町南部、
県道34号下関長門線&旧赤間関街道北道筋沿いの
各地区(大字。昔の村)にある庚申塚をご紹介してきました。
庚申塚の多くは、民間に庚申信仰が広まった
江戸時代に建てられたそうですが、
これだけの庚申塚が各村々の街道沿いにあったということは、
それだけ、この地が古くから開けていたことの
証なのかもしれません。
下関は山がちな地形なので、菊川や豊田の田畑は、
特に重要だったのではないでしょうか。
また、市街化があまり進まず、
道路も街道を中心に整備されたことから、
庚申塚が開発の犠牲にならなくて済んだということも
あったかと思います。