このエピソードをここに書くことの意図は

自分ではっきりとはしない。

でも僕の中の物語を共有したい。

なんだかぐちゃぐちゃしたことが起こっているので

それを共有することで

読むきみの中に起こったことを大切にしてもらいたい。



そう思う。



以前に中学生のサッカーの大会を見に行ったときのことだ。

この試合に負ければ、三年生は引退、

勝てば、ひとつ上の大会進出。



後半残り時間10分。

2-1で負けている。

サイドバックの選手は2年生。



再三ピンチを切り抜けるが

彼は思うようなプレイができていない。

その部分が機能していないのは

ほんのり見えているが、

コーチは選手交代をさせない。



どうにか同点に追いつきたいが、

焦っているのか、ついにミスキックが出て

相手チームにボールが渡ってしまい、

相手チームに追加点のチャンスが。



なんとか追加点は免れたが、

ここでサイドバックのメンバーチェンジ。

決定的なミスでチームバランスが悪くなったから

(他の選手たちのいらだちが彼に向き始めていたから)

全体を考えて交代する以外なかったのだ。



サイドバックの彼は

走ってコートを出るが

両手で顔を覆う。



彼にはわかっていたのだろう、

自分が思うようにプレイできていないことが。

そしてなんとか挽回したいと思いつつ、

ミスから追加点のチャンスまで与えてしまった。



交代して入った選手は足を引きずっていた。

けがした選手しかいなかったのだ。





不気味に静かに時間だけが流れていった。





そうしてゲームの流れも変わらずホイッスルが響いた。

負けたチームの選手たちはその場に崩れた。

ベンチにいる選手たちも涙をぬぐっている。

3年生の引退。



ゲームの流れを大きく変えるような選手がいたならば

とっくに変えていただろう。

流れを変えられるかどうかは、

サイドバックの2年生のメンタル、

そしてコートに立つ選手たちのメンタルにかかっていたのだ。



コーチの気持ちが伝わってくる。

おそらくここで彼(彼ら)に自信をつけさせたかったのだろう。

ここで彼がこのピンチを乗り越える以外、

このチームの先はなかったのだ。

逆にそこを乗り越えて、

次に進むチームになってほしかったのだ。



2年生の彼に、

コーチのそういった気持ちがわかるだろうか。



自分がミスをしているのに

ずっと下げてもらえなかったことのつらさ

またはミスで下げられたと否定的な気持ち

そんなところにいないだろうか。



ミスしたから下げたのではない。

その可能性の道を選んだから

ギリギリまで使ったのだ。



彼は弱い。

メンタルが弱すぎる。

でも、その涙の意味は重い。

弱さには力が宿っている。

この負けた悔しさは次への力となる。



コーチの意図や僕の想像なんて

どうだっていい。

彼は彼で涙をにじませながら

これを自分の次への力と変えていくだろう。



この経験が

必ず彼の人生の糧となっているのだから。



青春、それは青い春。

あおいなぁ。
夏もあっという間に過ぎちゃったね。

どんな夏だった?

ひとつひとつ、思い出深い夏が作れたらいいね。





さてさて、今日は意味がわかっているかどうか、

などという、大上段なことを書こうとしている。

何様だといった感じだけど、

はっきりと表現してみることが大切なので、

ここではっきり言っておこう。





若い人に限らず、立派な大人になっても、

あまり意味をもたないことをしていたりすることがある。

立派な大人になると、なおたちが悪い場合がある。

ほとんど意味なんてないのに

もっともらしく意味ありげに話すから、たちが悪い。



特に、中年や中高年。

そう、僕ぐらいのお年頃。



何かと決め付けが強い。

柔軟性がない。

わかったような顔をして自分のことばかり話す。

しかもほとんど意味がない。



(注.このブログもそうだ)



繰り返すが、立派(そう)な大人のたちが悪いところは、

その意味のないことをさも意味ありげにいうあたりだ。



『社会人とは、こうこうこういうものだ』

とか

『若い頃はそれでもいいけど、社会でそれだけではダメだ』

とか

『人生経験がないとわからないだろうけど、社会に出たらなんたら』

とか

『最近の若い者は、どうだら』

とか

『成功とは、こうこうこうで、なんたらかんたら』

とか

とか。



(注.このブログもそうだ)

こうして中年が押し付けがましく、

なおかつ暑苦しく叫んでいるのは特に気をつけるのだ。



年齢も関係ない。

経験も関係ない。

自分で考えて自分で選ぶんだ。



(意見に耳をふさぐことはおすすめしないけれど)

周囲の声はすべて参考意見。

真実は自分の中にしかない。

きみが思うように生きればいいんだ。



自分で考えて自分で選ぶことが一番気持ちいい。



もし自分で考えたとおりに選べないならば

それは見逃さないで熟慮した方がいい。

絶対、そこにはこだわらなきゃならない何かがあるように思う。



そこを見過ごしてしまうと、

自分の人生が次第に自分の手からこぼれていくかもしれない。

自分の何か大切なことを無視して誰かのために生きる人生だ。

それは長く続かない。

結局、誰のためにもならない結果がやってくるかもしれない。



人生は経験するためにある。

と思っている。

だから何かを学ぶ必要は

自分がそう思う限りにおいてあるし、

何も学ぶ必要がないとも言える。



先に生きている人の智慧には豊かなものがある。

それを大切にできる心があるならそれは素晴らしい。



しかし、それにただ従ってはならない。

自分で考えて自分で選ぶんだ。

なぜなら、きみの人生は

誰のものでもなく、きみ自身のものだからだ。



苦しくて誰かのせいにしたいときは

しばらく誰かのせいにしていていい。

しかし、それは自分の人生から外れている時間でもある。

だから、十分な力を取り戻したら

いつか自分の人生に飛び出してほしい。



必ず道はある。

それが未知で怖く感じることがあったとしても

飛び出た先に何かがある。

絶対、道があるから、

自分の人生に最後までこだわってほしい。



人の話を聞くのは自由だ。

だって決めるのは自分なのだから。

いくらでも耳を傾けるんだ。

決めるのは自分なのだから。

すべて参考意見なのだから。



意味があるような話には気をつけよう。

そもそも自分の人生をまっとうすることが最も大切なこと。

誰かにとって意味のある話なんて

自分にとって意味があるとは限らないのだから。



意味があるような空気に引き込まれないこと。

絶対、自分で考えて自分で選ぶんだ。



青春、それは青い春なんだ。
ある大学生と話したとき、

「これから進路を決めていくのに

何をしたらいいかわからないんです。」

と悩みを話してくれた。



いろいろやろうにも

本当にしたいことがわからないから選べない

というのだ。



何をしたらいいか

迷ってしまうこと、

たしかにあるよね。



そういうおいらも迷いっぱなし人生だ。

自信をもって迷うんだ!



『何かをひとつだけ決めてずっとやっていこう』

などと考えるから手も足も出なくなるのだ。


迷っているということは、いろいろあるってことだろう?

そのどれもこれも試してみるんだ!

自分が感じることを突き進め!



そうしているうちに

本当にしたいこと、好きなことが

ハッキリするんだよ。



そしたらその大学生はこう言うんだ。

「いろいろやっていって、増えてきたら中途半端になりませんか?」



そうそう、中途半端になっちゃうよね。

じゃなくて、その前に『ちゅうとはんぱ』ってなんだ?

なんなんだい??



僕は

『歩』

って文字が好きなんだよね。



『少し止まる』って書くでしょ?

何するにしても歩くように

ちょっとずつ進んで

ときどき止まっていいんじゃないか。



まだまだ40代は若いかもしれないが、

人より2,3倍濃厚に生きてきたかもしれない。

そこから見えてきたこととして

ずっと同じ気持ちで何かをし続けるものなんて

そうそうない、ということ、少なくとも僕には。

(あ、おいら、すごく飽きっぽいってのもあるけど;笑)



そんな僕でも日本各地の仲間といろんなプロジェクトが同時に動いている。

それはどういうことなのか。



単純な法則で、

熱があることだけをしているから自然と続いていく。

熱が冷めたら誰かに預けるか無期限休息か終了かする。

これだけ。



もう何年もずっと止まったままのプロジェクトもあるんだ。

他のプロジェクトより熱がないからそのまま止まっている。

でも自分の熱がほのかに残っていることがわかるから

僕の中でプロジェクトは終了していない。

だから止まったまま存在している。



熱がなくなったらやめればいいと思う。

そのために関係している人たちに誠実に伝えて

お互いが納得するまで話し合うしかないだろう。



思いつく限り、

自分の内側から湧きあがってくる限り、

そのことをしっかりと行動して

その成り行きと自分が感じることを見て

この先どの程度続けていくか

いつでもチェックしながら進むこと。



そしたら自然と

本当に自分を充足することばかりが

自分の周りを埋めていく。



好きか嫌いか

これで決めて動くこと。



生活の糧を何で得ていくか

心の糧を何で得ていくか

これは両方、大切なこと。



好きなことが生活の糧になるのはラッキーなこと。

生活のために仕事していていい。

心の糧のために好きなことを

どんどん試していくのだ。



そうしたら自然と何もかもが

どうしたらうまく進むかがわかるようになる。

生活のための仕事もおもしろくできる感覚が育つ。



大学生、これから就職活動を前にして

何をしたらいいかわからない

その気持ち、わかる。



僕は毎日同じように問いかけている。

「何をしたい?」

「今、心地よいか?」

「これをしていて本当にいいのか?」



いいかい?

試すってことはとても楽しいことなんだ。

何かが起きるかどうか観る楽しさがあるんだよ。



結果なんて気にせず試すこと。

何かいい方向の結果が出てきたら

ちょっと調子に乗りながらまた一歩進んでみたらいい。



何か予想外の方向の結果が出たら

また工夫して新たな試みをしてみるんだ。

世界とダンスするように。



僕がこうステップしたら

君はこう応えてくれた。

そしたら僕は手をすっと上げて

君はクルっと回る。

そんなダンス。



大人の言いなりになっているようではダメだ。

だって君だって立派な大人になるのだから。



自分で感じることを試して

その結果を見たときに

自分が感じることの中に答えがある。



試していけばすべてわかるようになる。

その『仕方』を身につけることだよ。

そしたら真の迷いっぱなし人生を生きられるよ。

それは本当の自由への道だ。



青春、それは青い春なのだから。