新型コロナウイルス(COVID-19)の流行に伴うマスク需要の急拡大で、フィルター性能が高く、マスクや防護服などに使われる素材「メルトブローン不織布」が一時、中国で深刻な供給不足に陥りました。

日本製部品に頼った生産体制があだとなって生産が遅れ、価格が暴騰しました。中国は世界最大のマスク生産国で、去年の生産量は、世界全体の約半数を占める50億枚に上りました。

それでも、新型コロナウイルスに対する警戒感が強まった春節連休が終わる頃にはマスクは店頭から消えていました。

産業界の動きは迅速でした。春節の連休にもかかわらず、アパレルや自動車などの異業種が相次いで生産に参入。2月末には1日当たりの生産枚数が約1億枚と従来の5倍になりました。

ところが今度は素材であるメルトブローン不織布が供給不足に陥ります。2月末の価格は1月分の約15倍に高騰し、マスク生産の一部が停滞しました。

メルトブローン不織布の増産がすぐに進まなかったのは、生産設備の要のパーツであるノズルを、日本製をはじめとした海外製品に依存していたことが背景にあります。海外製品は輸送や設備取り付け後の調整なども含めると通常なら早くても数カ月はかかります。

メルトブローン不織布は近年、PM2.5の濾過材として注目を集めましたが、紙おむつなどの衛生製品向けの不織布に比べると市場規模は小さく、大手メーカー各社にとっての優先順位はさほど高くありませんでした。そのため、生産しているのはほとんど中小メーカーでした。これも増産が迅速に行われず、素材価格の高騰を招く要因となりました。数百万元かかるといわれる設備投資は中小メーカーにとって負担は小さくないですからね。

そうしたなか、増産は新規参入の大企業が中心となって担いました。国有石油大手で、メルトブローン不織布の原料を生産する中国石油化工集団(シノペック)が2月から突貫工事で傘下企業に生産設備を導入し、3月から順次生産を開始。5月のフル稼働後の生産規模はマスク100億枚分に相当する1万トンに達し、世界最大の生産量になりました。

一方、価格高騰で混乱も生じました。一攫千金を狙う業者の不当転売が横行し、新規参入した“にわかメーカー”も乱立。生産の要であるノズルまで粗悪な偽物が出回りました。こうした粗悪品を使った基準を満たさないマスクも相当量出回りました。3月にヨーロッパで不良品の中国製マスクが問題になったのも、その一環であると思われます。

中国政府は、管理強化や取り締まりに動きました。4月1日からマスクなどの輸出を許可制とし、製品が輸出先の基準を満たすことを義務付けました。江蘇省の揚中市では、メルトブローン不織布の生産・販売に新規参入した900社弱について、品質や操業に問題があるとして、一斉に操業を停止させたというニュースもありました。

新型コロナ流行前には1トン当たり約2万元(約30万円)だった価格は、瞬間値で70万元まで暴騰しましたが、4月中旬には約30万元になり、2月末と同レベルの水準まで下がりました。

今後もハイレベルの生産が続くでしょうし、メルトブロー不織布の供給不足解消と相まって、感染のピークも一段落したことで、4月以降は中国国内の需要をほぼ満たしています。5月に入って海外向けの輸出が増え、日本でも通常価格で買えるようになりましたね。
今から約100年前の1914年~1918年に第一次世界大戦がありました。

この時の戦死者は諸説あるものの、軍人民間人合わせて約1650万人とされています。

ところが、この戦争の終盤の1918年から1921年にかけて、これをはるかに上回る、推定3000万人以上の死者を出すインフルエンザが流行しました。これが、いわゆる「スペイン風邪」です。

日本でも、この時期に当時の人口の約半数が罹患し、約45万人が亡くなったと推定されています。ちなみに、限定的に参戦したとはいえ、第一次世界大戦における日本人の戦死者は415人でした。

当時、交戦中だった欧州各国が情報統制する中で、中立国だったスペインだけが病気の流行を公表したため、「スペイン風邪」と名付けられましたが、発端は1918年3月のアメリカ中西部のカンザス州だと考えられています。

アメリカは、大戦途中の1917年4月に参戦を決定し、急いで徴兵制を実施し、若者を兵舎に集めて訓練を始めました。まさに今で言う【3密(密閉・密集・密接)】がそろった兵舎の中からスペイン風邪が発症・拡散していったと考えられています。そして、ウイルスを持った兵士たちが次々と欧州に派遣され、スペイン風邪は戦乱の欧州を経て、世界中へと拡散していったのです。

第一波は発症から約1ヶ月後に米兵とともにフランスに上陸。その方面に派遣されていたイギリス兵に感染し、捕虜として隔離状態にあったドイツ兵へと伝染し、そしてフランス南部戦線に配置されていたフランス兵へと拡散しました。

欧州から遠く離れた日本でも発症が確認され、この年の大相撲夏場所は、このインフルエンザによる休場が目立ち、「相撲風邪」とも呼ばれ、また、日本に来た第一波による死者は少なく、発症しても3日ほどで回復したので「三日熱」とも呼ばれたのです。

第二波となるウイルスの変異は同年8月に始まり、不思議なことにアフリカ・フランス・アメリカ東海岸という離れた場所でほぼ同時期に発生しました。当時の新聞によると、健康そうな若者が38度~40度の高熱を発して、発症からわずか数時間で動けなくなり、バタバタと亡くなっていったとあります。あまりの急激な容体の変化に、アメリカ東海岸のボストンでは「ドイツ軍が毒を撒いた」という噂が信じられていたほどでした。

インフルエンザというと、今では体力が弱い高齢者や乳幼児が犠牲になってしまうというイメージがありますが、スペイン風邪の特徴は、死亡者の約45%が18歳から45歳までの体力のある成人だったことです。

かくして小康状態の後、翌1919年2月に第三波が起こり、アメリカでは1920年4月までに約55万人が死亡し、集団免疫の獲得(=国民の約半数が罹患)により、スペイン風邪の流行は収束しました。

さて、スペイン風邪は新型コロナウイルス(COVID-19)と戦う現代の私たちにとって何を教訓として残していったのでしょうか。

感染症の歴史としては、流行は第一波だけでは済まず長期化する可能性があること、ウイルスは突然変異があり凶暴化する可能性があること、犠牲者は必ずしも高齢者や乳幼児とは限らないこと、などでしょうか
ベッキーと巨人・片岡2軍内野守備走塁コーチが真剣交際 2人の所属事務所認める


SANSPO.comの記事

タレント、ベッキー(34)がプロ野球巨人の片岡治大2軍内野守備走塁コーチ(35)と真剣交際していることが26日、分かった。この日、ベッキーの所属事務所のサンミュージック、片岡コーチをマネジメントする吉本興業ともに交際を認めた。


 関係者によると、2人は今年に入り、共通の知人の紹介で知り合った。ベッキーのファンだった片岡コーチのアプローチもあり、先月から交際がスタートしたという。


 ベッキーは2016年1月にロックバンド、ゲスの極み乙女。の川谷絵音(29)との不倫騒動が発覚。テレビなど多くのレギュラー番組を降板し、その後、破局。


 一方の片岡コーチは栃木・宇都宮学園高3年の夏に甲子園出場。社会人野球、東京ガスでプレーし、2004年のドラフト3位でプロ野球西武に入団した。そして14年にフリーエージェントで巨人へ移籍し、昨季引退。今季からコーチとして若手の指導にあたっている。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



この記事が出た26日から28日にかけての対広島3連戦において、片岡コーチが所属する巨人軍は3連敗を喫してしまいました。

アンチ巨人の人たちなら笑える話なのですが、巨人ファンから見ればたまったもんじゃありません。何とか片岡コーチとベッキーの縁を台無しにする良い案は無いでしょうか?w(殴

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