夜中に目覚め、対照的にぐっすりと眠っている隣の男の顔を上目に覗く。口をうっすら開けて眠っている様は歳よりも随分あどけなく見え尚更愛おしさが増すがこのことは俺だけの秘密。
髪を梳いて彼に触れたいと腕を伸ばすが未だに一瞬躊躇してしまう自分がいて苦笑する。許しを得なければ彼に触れられることはできなかったあの頃。全てが自分のものだと彼が言う今でも、自分の思いは相変わらずで緊張して指は振るえている。
「くすぐったい・・・」
「あっ・・・」
目は開けていないものの、不機嫌なくぐもった声が止めろと言わんばかりに俺を非難していた。
「ごめん、起こしちゃった。」
ユノに腕を引っ張られ胸に閉じ込められると糊の香りは薄まりあの頃の思い出が淡い色になって霞んでいった。
「眠れないの?」
「べつに・・・思い出してた・・・昔のこと・・・」
ユノは極力過去のことは触れたがらないから聞いてくれてなくていい。寝ぼけている今なら言えそうな気がする。俺がただ語りたいだけだから。
「はじめて・・・ユノが俺に触れてくれた時のこと・・・」
黒い思い出は今でも胸を締め付けるくらい苦しくて残酷な自分・・・
父が亡くなり生活に困っていたところ住み込みでの働き口を母は見つけてきた。世の中にもいい人はいるもんだと思ったのは束の間で母はそこの家主の愛人だった。
身体の弱い母の代わりなのだろうか、俺も直ぐにこの男に抱かれた。嫌々だったものの、それなりの手当てはくれたからその一時を我慢すればと思ってやってきたのに俺はこの男の息子に恋してしまった。
それを知ってか、はたまた男は俺に飽きたのか今度は家主が社長として勤める会社の取引相手と寝るように仕向けた。
世の中には可笑しな奴がいる。従順な振りして腰さえ振って鳴いてれば可愛がってくれるのに一番困ったのは暴力で支配しようとする奴だった。元来のサディスティックとは違う。そういった知識もなく、ストレスの捌け口をぶつけるだけの暴力は見た目にも心にも苦痛だった。
家主が息子へと変わってからは、こういう相手とは取引をしないということになったらしいが眠っていた欲望は突然表れることもある。
引き金となったのは俺の我侭。
自業自得。
「キスはしない____やだ!!気持ち悪い!!」
俺に触れるにはそれなりの決まりはあったらしいが、女のように丁寧に扱われることはない。むろん、こういう風に逆らったり自分の意見を言えるわけがなく客人を満足させて養ってくれてる男の会社との契約をとらなければならない。
感情を持たなければ楽。
人形のようにただの商品として、身なりだけは綺麗に取り繕っていたがどうやら俺も人間だったようで、触れられたくないところはあった。小さな小さな思い出・・・彼は覚えているか分からないけど、唯一好きな男に触れた唇。身体は汚されてもそれだけは守りたくて誰にも触れて欲しくなかった。
操を立ててる、嫌よも好きのうちなんて男は可笑しそうに鼻で笑って乗り上げてくると俺の頬を平手打ちした。火花が飛び散るように熱くなったそこを「可愛そうに」なんて言いながらまた殴る。
こんな時は決まって走馬灯のように高校時代の景色が現れてた。
校舎に差し込む日差し、白いゴールポスト、青々とした芝生、裏庭で食べたお弁当、そして制服姿のユノ・・・殴られる度に、それぞれが色を失って亀裂が入る。
顎を掴まれ、ざらついた舌が耳から頬へゆっくりと這っていく行為に身体が震え出す。
汚される・・・
壊れる・・・
汚される。
壊れる。
「イさん、お帰りください。」
胸の重みが消えると両腕で顔を拭い声の主の方へ顔をやる。ぼやけて表情が見えないが分かってる。この男がどんな顔をしてるのか。込み上げてくる物を堪えるようにシーツに顔を伏せた。
「な、な、何を言ってるんだ、君は!!」
「手だけは上げないと約束したはずです。今後一切の取引はこちらからお断りさせて頂きます。どうぞ今日はもうお引取りください。」
俺を殴った男は納得いかないようで彼に怒りをぶちまけていた。グラスが割れる音。俺達を罵倒するドスのきいた声。怖いはずなのに、腰で巻かれてるタオルの上に乗っかる醜い肉の塊が異常に可笑しく見えて、笑いが漏れそうになる。
俺の頭の中の思い出たちも、色が蘇り教室で手を振る俺にユノは手を振り返してくれていた。
「ジェジュン・・・顔を見せろ。」
俺はどのくらいそうしていたのだろう。
肩を掴まれて強引に仰向けにされると険しい顔の表情の男が・・・手を振ってくれてた男と同一人物だというのに時は彼を凛々しい男へと変貌させていた。
俺を見ると彼は俺の唇に手を当てて眉を顰めた。触れてるところは痛みからなのか、それとも自分の身勝手な熱のせいなのか身体が疼く。本当はまだ残ってる薬のせいと言い聞かせて彼の言葉を待つ。
「血が出てる。」
「ユノ・・・」
契約はうまくいかなかったはず______
ユノの役に立てなかったから今日はご褒美は貰えない。そしてこんなことが続けばいつかは用済みとなるのだろう。
思いを遂げられず泡となった人魚姫は幸せだっただろうか。このまま自身も溶けてなくなりたい思いと裏腹に、不幸と分かっていても彼の側にいたいと思う自分がいる。
「ジェジュン・・・」
ユノは俺を呼ぶ。
何も見たくない、聞きたくない、それなのに俺を呼ぶ。
「大丈夫か?泣くほど痛かったのか?」
「ご、ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
知らずと涙が流れていた。何度も何度も拭うユノの指が心地よくて雫は止まることを知らない。焦れたように、溜息を軽く漏らすと何を思ったのか彼は唇を寄せ「大丈夫」とあやす様に頬に口付けを落とし舌が唇を掠めた。
知りたくなかった。
柔らかな唇から発せられる甘い声。
背中を摩る手。
温かな胸で強く脈打つ鼓動。
彼が触れたのは僅かなのに俺は多くのことを知ってしまったんだ。だけど確かめる術も無く俺はただ子供のように泣きじゃくる事しかあの時は出来なかった。
「お前は血の味も甘いんだな。客が痛めつけたくなるのも分かる気がする。」
皮肉は何も役に立たない。
でも確信もない。
「慣れてるから・・・大丈夫だから・・・優しくしないで・・・」
初な女の子のように期待しちゃうから、これが精一杯の言葉なんて彼が気づくはずも無い。それでも必死にしがみ付いてる自分は傍から見たらなんて滑稽なんだろう。
「俺は優しくは無い。」
分かってる。
好きになってごめんなさい。
ユノを愛してごめんなさい。
そう言ったら彼はどう返してくれるのだろう。
「商品だから・・・俺は・・・お前を綺麗に管理してないと欲しい奴は出てこない。勘違いするな。明日は色目でも何でも使って抱かれろ。失敗は今後許さない。」
「頑張るから・・・頑張るから・・・」
捨てないで。
いや,人形にはなりきれない俺を捨てて。
暫くしてからユノはいなくなった。俺は追いかけることもなく彼も俺を探すことはなかった。
「守ってやれないんだったら壊してしまえばいいとあの時思っていたんだ。」
眠ってると思っていたユノはそっと目を開けて呟くように口を開いた。
「でもユノは優しかった。壊してくれてたら・・・こんなに遠回りしなかったのに・・・」
ユノは軽く欠伸をしながらぼんやりとした目で俺を見る。まだ眠そうだ。
「それはそれで耐えられなかったと思う。俺はただ・・・あの時から愚かな男で、それは今でもこれからもお前には何もしてやれないかもしれない。だから・・・」
「しなくていい。」
彼の言葉を遮るように、顔を寄せてそっと口付けをすると彼は口角を上げて微笑みながらまた目を閉じた。髭のくすぐったい感触に思わず俺も笑みが漏れたのは彼は気づいていないだろう。
「ユノが隣に・・・ただ居てくれればいいんだ。」
触れられないなら俺が触れさせて。俺がユノの全てを包み込むから。ずっと、ずっと…
彼の規則正しい寝息と香りが俺をやっと眠りに誘った。
あの頃の彼もまた俺に手を振る。
微笑みながら・・・



