今日は心強いブログを読みました。

動物達(犬)の殺処分について  です。

もしよろしければ
長くなりますが私の書いたものとリブログも
お読みいただければと思います。


犬犬犬犬犬犬犬



私は現場を知りません。
保護活動の大変さを知りません。
ネットを閉じれば直ぐに忘れる事ができます。
そんな私ですが

CAPINさんを支持してるし、
絶対に間違ってないと思っています。

センターから犬や猫を引き出す団体が
殺処分をなくしたいと活動しているはずの団体が
ゼロを叫び動き出したCAPINさんを叩き
行政へ殺処分再開を迫り、県はその要望を
叶えた形のガイドラインを設け
殺処分数に譲渡不敵の犬は含めないという
環境省の指針を都合のいいように解釈して
パルボを理由に殺処分を再開しました。
パルボだったのかも不明なのに。
そしてパルボは関係なしに今後は
殺処分を再開すると知事が発表しました。

捨て犬、捨て犬の子孫、迷子犬、飼い主持込犬
譲渡不敵って、人に慣れない、唸る、咬もうとする
などです。
私が犬なら絶対に不敵です。
真っ先に殺されているでしょう。

愛護動物を みだりに殺してはならないと
いう動物愛護法があります。
行政はもちろん守らなければなりません。
狂犬病予防法にある処分できる という文言は
殺処分だけを指しているわけではありません。
殺処分だけが処分ではなく譲渡も処分です
思考停止状態の行政と殺せと要望した団体。
殺す為の税金には文句はないようです。
生かす為の税金は許せないという事のようです。
パンダを見世物にする為の税金はいいようです。


私は小学生高学年から中学生までは生徒数が多くて
確か通算で2年間はプレハブ教室でした。

予想より数が増えるとなんとかその場しのぎでも
対応するでしょう。

私より前の世代は二部制だったそうです。

とにかく、学校に来なくていいなんて
事にはならない。

犬の場合も数が増えればプレハブなり
コンテナなり、民間のボランティアでさえ
すぐに手配できるのに、それさえ行政は
しない。

殺す事に慣れてしまい感覚が麻痺しているのだと
思ってしまいます。

犬は犬、人間は人間。
一緒に語るなって人も居ます。

私は人間の為に危険にさらされた動物は
護られて当然だと思っています。

犬は狼から進化する過程で人間と一緒にいる事を
選んだんだと、何かで読みました。

人間の欲望の為に利用され捨てられた犬や猫を
最後の時まで苦しめて殺していいはずはないと
思います。

まだまだ思いを書きたいところですが
私の思いより

犬にまみれて人生かけて保護されている方の
ブログをリブログさせてもらいましたので
是非お読みいただければと思います。
よろしくお願いします。