http://youtu.be/PWu0PzyPrH4
2.26~3.1、韓国はソウル・蔚山・慶州・釜山に行ってきた。
自分は2012年にインドネシアへ語学留学を経験していて、そのときインドネシア語を学ぶクラスで出会ったのが韓国人のSeo(ソウ)君。今回は彼に会うのが一番の目的だった。
インドネシアのクラスでは韓国人と日本人のほか、イタリア人やカナダ人、オーストラリア人やスウェーデン人も一緒に0からインドネシア語を学んでいた。中でもSeo君は盛り上げ役を買って出て、覚えたての言語で突飛な発言をし、クラスが和気藹々となるような雰囲気を作ってくれた。
Seo君は別け隔てなく人と付き合いことが出来、彼との最初の会話はルパン3世だった覚えがある。同じ年齢、似た名前(Sei)ということもあり、すぐに打ち解けた。
授業時間だけの付き合いにとどまらず、飲酒を禁じているイスラム教徒が7割強住むインドネシアにおいて、一緒に飲みにいくことがままあった。夜な夜な、ビールが販売されているコンビニの前で冗談言いながらも、真面目に将来を語り合ったのはいい思い出となっている。
彼は半年の留学であったため、先に帰国することになったが、帰国前日にも一緒に山の麓のキャンプ場で星を眺めながらお酒を飲んだ。翌日の見送りには行けなかったが、電車に乗り込んだ彼から電話がかかってきて、つたないままのインドネシア語で別れの挨拶と再会の約束をした。
その後、自分は農村での聞きとり調査が控えていたため、調査に必要となるような表現や語彙を増やしていったけれども、例え語彙が少なくとも自分の気持ちを伝えられる彼のコミュニケーション能力に、素直に感嘆していたし、真似しようと思った。彼は親友であり、兄のようでもあった。
2013年夏、カナダへのインターンを済ませたSeo君は大阪を観光で訪れていたが、2度目の調査で日本を離れていた自分はどうしても会うことが出来なかった。言うなれば今回の旅行は再会の約束を果たすためのものだった。
今回の旅行の写真が以下。
Seoくんとの思い出を語っておいて、食べ物の写真が多いことは(構成上)いただけないけども、まあそこはしゃーない。
今回の旅行でもドライブ中に色々と語り合ったし、彼の両親とも夕食を共にした。とりわけ思い出深いのは別れの時。釜山のバスターミナルで一足先に家路につくSeo君を、今回は見送ることが出来た。さっきまでお互いの仕事観や結婚観、インドネシアでの思い出話で花を咲かせていたのが嘘みたく、しんみりしてしまい、お互い抱擁して今後の健闘を祈りあった。
「出会うということは別れるということ」
そう言って、涙を目に浮かべてバスに乗り込む彼を見て、自分もこみ上げてくるものがあった。バスが見えなくなるまで手を振る。
帰国した日、TVニュースを見れば韓国では反日感情が高まっているという(3.1事件)。その番組では右翼の陣容とも言うべきコメンテイターが並び、一様に河野談話の見直しを声高に述べている。キム・ヨナのyahooニュースを見れば、人格を否定する匿名コメントがびっしりと並んでいる。
あらためて思うことがある。
「国民性」ってやつはクソだなあと。「性格判断」も変だし、「血液型占い」も「星座占い」もみんな変だなあと。「国民性」という大きな物語に影響を受けすぎて、一人ひとりの物語に気付けなくなっている。一人ひとりの顔が見えてこないから、平気で「国民性」と断定して叩いちゃう。むやみやたらに固定化するな。って思う。多様性を束ねるなって思う。人の気持ちでさえ昨日今日明日ちがう。自分を語り慣れするように、他人を語り慣れするな。って思う。
色々な人が世界で生きている。Seo君を想うように、世界を想えたら。
ちなみにですが、4月から世界史教師、始めます。
今回の旅行でもドライブ中に色々と語り合ったし、彼の両親とも夕食を共にした。とりわけ思い出深いのは別れの時。釜山のバスターミナルで一足先に家路につくSeo君を、今回は見送ることが出来た。さっきまでお互いの仕事観や結婚観、インドネシアでの思い出話で花を咲かせていたのが嘘みたく、しんみりしてしまい、お互い抱擁して今後の健闘を祈りあった。
「出会うということは別れるということ」
そう言って、涙を目に浮かべてバスに乗り込む彼を見て、自分もこみ上げてくるものがあった。バスが見えなくなるまで手を振る。
帰国した日、TVニュースを見れば韓国では反日感情が高まっているという(3.1事件)。その番組では右翼の陣容とも言うべきコメンテイターが並び、一様に河野談話の見直しを声高に述べている。キム・ヨナのyahooニュースを見れば、人格を否定する匿名コメントがびっしりと並んでいる。
あらためて思うことがある。
「国民性」ってやつはクソだなあと。「性格判断」も変だし、「血液型占い」も「星座占い」もみんな変だなあと。「国民性」という大きな物語に影響を受けすぎて、一人ひとりの物語に気付けなくなっている。一人ひとりの顔が見えてこないから、平気で「国民性」と断定して叩いちゃう。むやみやたらに固定化するな。って思う。多様性を束ねるなって思う。人の気持ちでさえ昨日今日明日ちがう。自分を語り慣れするように、他人を語り慣れするな。って思う。
色々な人が世界で生きている。Seo君を想うように、世界を想えたら。
ちなみにですが、4月から世界史教師、始めます。






















