何故か昨日blogを更新する時刻が

墜落時刻へと近づいてきた為

急に気分が悪くなり
更新を止めました
(;^_^A

意識していないつもりが

不思議です!


さて…昨日の続きを軽く


25年経った今も
その時の光景や臭いなんか全て…隅々まで思い出せる私です。

日本各地より同じように
犠牲になられたであろう遺族の方達がお互いを支え合うように…

群馬へと来ていました。


お話なんて聞かなくても
雰囲気でわかるほど


墜落後 日本航空より電話をもらった父親と現地合流をし


指定されたホテルへと場所を移動し
家族である証明である手続きを済ませ
連絡があるまで、待機します


テレビでは…相変わらず
生存者絶望ということ
遺体の収容が自衛隊より開始された事


どれくらいの時間が流れたのか


次々と遺体が地元の小学校、中学校、高校へと収容されてゆく


身元が確認された遺体は
ホワイトボードに名前が載り


身元不明については希望者確認可能ということ


名前
名前
名前

身元不明 約183?


約?ってなんだろと思ったが


体育館へ行けばそれは直ぐに理解できた。


遺体の確認がとれた遺族の号泣の中
棺の上には


右下肢 すね 男性?
とか

大きな棺の中には
五体満足な身体はほとんど入っていない様子が
この特徴書きから
伺えた。

警察や関係者に希望すれば棺の蓋をあける事はできるが

私は母親は
勇気がなかった

体育館は想像以上に暑くいくつもの大型扇風機が設置されていたが

なんともいえない
臭いを巻き上げてるだけだった

外は…蝉が元気に鳴いている


母親と休憩室で


墜落したんだもんね
五体満足な訳がないよね
想像してなかったし
厳しいね


確認父親に任せ私達は
ここでまとうか?


でも…家族やから
見つけてあげんとな


お兄ちゃん達待ってるはずやわ
見つけてって


こんな会話をして
また体育館内へ


でも特徴書きを見回るだけで
やはり…確認させてくださいとはいえなかった。


私と母親


結局…父親も


母親も私もみつけてあげる事はできなかった


間で何度か福井までかえったけど約二ヶ月探したけど


みつからなかった…


機体前方付近はほぼ
谷底へとクラッシュしており
回収困難だったとの事を数年後知る


当時、雑誌とかに
現場写真がむごたらしく掲載されていたが


あれが兄だったら
おばだったらと思うと


たまらなく腹立たしく思えた


遺品は何一つ見つからない


でも…この世にもいない事実…


毎年この時期が近付くと
脳内が自然に
そういう波長になるのか
身の回りで不思議現象が頻発する

12日までの
3日は…見続けた


兄やおばを確認できなかったけど


一日たりとも
忘れた事はない
忘れない


一緒に歩いた道
一緒に暮らした日々を


決して!いきゆく限り。


羽田18時発
JAL123便

群馬県山間部へ墜落が確認…されました


母親と目が合います


40度近い熱があったけど布団から起き上がり


母親は…


あっちうろうろ

と右往左往


お母さん…とりあえず
キャンセルしたチケットみてみよさ


探しだそうとするけど見つからない
明らかに動転する母親


私は起き上がったけれど
身体フラフラ


そうこうしてる間も
テレビでは同じ内容で墜落墜落といっている


乗組員合わせて524名
安否はわからない



ようやくチケットがみつかり確認
母親は

声にならない
私も…どうするん?
何がどうしたん?
これって、アニキ墜落したって事?

どうするん?
なあ?どうするん?

母親…そんなもん私に言われてもわからん!


どーしたらいいんだろう


お父さんに電話!


としばらく電話で話していた!


父はとりあえず…どうしていいかわからないので
東京に来るといいだすが


ここらあたりで搭乗手続をした名簿の名前が
カタカナでテロップで流しながらアナウンサーが名前を読み上げている


名簿がある以上電話番号も載せてるんだ
父親の元に連絡が入るかもしれないから


そのまま家にいるように
伝えていた母親
万一に備え孫を近所に預ける手筈まで
母親は父親に指摘していた


しばらく無言でテレビを見ていると


サトウユ○ヤ
ヤマサキ○カ


と名前が…でてきた瞬間


二人とも
多分小さい頃以来であろう
息を吸うことができない
程の号泣をした

そのまま
気が遠くなりどこかへ気持ちがもっていかれるような…おもい
凄く気分が悪くなり

動けなくなる


父親は電話番


福井から旦那が東京にむけ車できてくれる事になる

車さえあれば…私も休めるし
群馬のビジネスホテルを一週間予約し


兄達が墜落機に乗っていたのは
もはや、事実である


どうしたらいいのかわからないなりに
父親は、墜落場所付近に居た方がいいだろう
という事で

ホテルを予約し
一応到着予定時刻に鯖江の駅まで二人を迎えに行ったそうである

駅に事情を説明し
特急席に二人大阪から乗車確認されてない人いないか確認をとってもらったらしい

駅の人は、特急の車掌に確認を入れたとこ
やはり二名確認とれていないと返事があったと

父親なりに確認をし

次にJALの東京本社へ連絡するも繋がらず
羽田へ連絡するも
確認中だからと詳細は教えられないからと

だが、何か詳細がわかったら必ず連絡が本社より入るはずだから
ご自宅待機をお願いしますと言われ。


家に帰ったとの事


連絡が入るといけないから、私たちは父親の連絡待ち旦那待ちとなった

旦那が到着するまでの間


夜は明け
朝のテレビはその話題で


生存者に関しては絶望だと


まるで違うどこかにトラップしたというのか
旦那も東京の街なんか走った事がなく
田舎者なのにナビもないのに

なんとか来てくれた事も

本当に私はだれ?


今何がおきているのと今一理解してるようで
していない


本当に本当に
心がぐちゃぐちゃだった


不幸事とは続くもので


数ヶ月前に…妹も亡くしていたので


この悲しみは


生涯忘れる事はできない
忘れてはいけない
出来事となってしまった。




今年は…

慰霊祭の当日にはゆけず

昨日現地に赴き

慰霊登山を旦那と済ませました

出席名簿に親の名前があったので

親は今日参加している

25年前…

日本航空123便に
大阪に向けて機内には
私の兄がおばさんが乗ってました。

私が体調がわるくおばさんの東京の家で当時母親と二人きり

おばさんは…東京で絵画の勉強をしていて
素敵なおばさんでした

兄と母親私の三人で
夏休みを利用し都会に遊びに行きがてらの
おばさん(当時28)
のアパートに宿泊してました

兄は…大学がある為にこの便に
おばさんは、帰郷の為
私達が当時住んでいた福井県へと向かう途中でした

小松空港着は満席でとれずこの123便にしたのです

私と母親が乗れなかった為に…キャンセル待ちで乗れたであろう
お二人…

席は中間席だったので

助かられた4名はほぼ後部座席なので

多分兄と同じ運命を辿られたと思います。


あの日の夜20時すぎ
テレビが急に切り替わり特別番組が放送され

トップテンかな?

露木さんが…123便消息を絶つ…詳しい情報はわからないが
飛行機が低空飛行したがら東方向へと地元住民の証言が…


皆さんもどうでしょうか?
私も母親も飛行機のチケットあるとしたら
便までみますか?
123便と言われても…ぴんときませんし

大阪から福井までは電車乗り継ぐので
兄達はまだ着いているわけもないわけで
当時携帯もありませんし

連絡なくて当たり前な時間でしたので

最初はぴんとこなくて
私は布団の中から
母親に

飛行機消息不明なんだって!というと

母親は墜落したんやないの?

(○_○)いややなあ
お兄ちゃんら大丈夫かな?

とうに大阪着いてるはずやから大丈夫やろ!

こんな会話をし

とりあえず、福井の父親へ電話をし
当時2歳になる息子の声を聞いて安心し

父親に飛行機消息不明なんやて

父親は…テレビつけるわ
物騒やな

そんな会話をし
切電

時刻は忘れたけど

また番組が切り替わり
アナウンサーの慌てている様子が伝わる緊迫感は伝わる…


123便墜落が自衛隊により確認されたと
山の尾根に煙りと炎の確認がとれたと