芭蕉が那須湯本にある殺生石(せっしょうせき)を訪れたのは

元禄2年(1689)旧暦4月19日(新暦6月6日)のことです。

約2週間に及ぶ長逗留をした黒羽を発って高久へ向かい、当地の

名主宅に二泊、湯本で一泊した翌日温泉神社と殺生石を見物しています。


殺生石とは、美しい女性に化けて鳥羽上皇の寵愛を受けた「九尾の狐」が

陰陽師に正体を見破られて那須湯本に逃げ、石となったところ毒を吐き続けて

周辺に害を及ぼしたという伝説の石です。辺り一体は硫黄の匂いが立ち込め

危険な硫化水素ガスが発生する場所であることが九尾の狐伝説誕生の素地と

なったのでしょう。芭蕉もこの伝説に興味をそそられたのではないでしょうか。


殺生石
日光春秋

■殺生石のそばにある句碑。 石の香や 夏草あかく 露あつし

「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず。

蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す」 (おくの細道)
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殺生石へ至る木道
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千体地蔵 どの地蔵も一心不乱に拝んでいる。
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教伝地獄
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温泉神社は地獄谷を見下ろす山の上にある。神社から殺生石までは歩いて5分ほど。

芭蕉と曾良は温泉神社に参拝した後殺生石を見に行った。
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■温泉神社境内にある句碑。 湯をむすぶ 誓もおなじ 石清水
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