さて、息子の婚約者との対面もおわり、こうなると両家の母たちにも報告しなくてはということになりました。

 

私の母と妹には、実家の家事ヘルプのときに、それとなく息子に彼女ができたこと、そろそろ結婚の話が出ていることは伝えていましたが、婚約者に会ったことを話すと、予想通り、中国人にマイナスイメージのある母は、困惑と失望を隠せない様子でした。息子を溺愛していた妹も、ショックを受けていた様子。

 

それでも、私が、婚約者の印象が良かったこと、将来的にどこに住むかはまだわからないことなどを伝えると、母のショックを和らげるためか、英国に7年住んで日本に戻ってきた妹は、「まわりで国際結婚をするカップルをたくさん見てきた。多くは、両方の国を行き来しながら、生活している。中国人の知り合いもいたが、ステレオタイプなイメージの人ばかりではなかった。」などと話していました。「〇ちゃん(息子のこと)が、結婚するとは思ってなくてそれはショックかも。」とも。

 

義母には夫からTELで話してもらいましたが、やはりショックは隠せない様子だったそう。

それでも、「久しぶりのおめでたいことだわね。」とは言っていたそうで。

最後に「〇〇さん(私のこと)は、どう思ってるの?」と聞いたらしく、夫は「うーん、微妙かな。」と答えていました。微妙というひとことでいってほしくないなあ。2年間怒涛に苦しんで、カウンセリング使いまくって、ようやく息子の選択を祝福するところまでたどり着いたので、「葛藤はあったみたいだけど、今は祝福しようと努力してるよ。」くらいは言ってほしかったかも。

 

その後、息子に、「両家に紹介するから、二人の写真を何枚か送ってね。」とlineしたら、これまた、幸せいっぱいのドアップツーショットが送られてきたので、両家に送ったところ、なかなか返信は来ず…。

 

やっと来た返信は、

義母「かわいい婚約者ね。しあわせそうでよかった。」

妹「希望に満ちたお二人にお祝いを申し上げます。」その後わたしに、「おめでたいことだけれど、やはりショックなので今後は二人の写真などは送ってくれなくていいです。」とのこと。

母からは返信来ず。

 

こういう反応をみていると、やはり、家族にとって息子は、アイドルみたいなものだったんだなあと改めて感じました。

ちいさいころからイケメンで成績優秀、優しくて礼儀正しい。

そばにいる私から見ると、本音は別にあるのかもね、と思う瞬間は時々ありましたが、とりあえず、親戚の前ではできすぎた息子でした。

 

そのアイドルが、アメリカにいって、帰っても来なくて、様子もわからないと思っていたら、いきなり婚約者ができていて、しかもそれが中国人。6月には結婚?! ふざけんな!みたいな感じでしょうね。(私も当初はそんな感じでしたから…)

 

そういうものももしかしたら煩わしくて、広い世界を見るためにアメリカにいっちゃったのかもねえ、と思ったりもしました。

 

周りの期待に応えるための人生ではなくて、自分の人生を歩き始めたんだなあ、と思いました。

 

 

だいぶ間が空いてしまいました。

 

無理もないんです。

はたまた怒涛だったので。

 

前回の思い出話はいったん中断して、「6月に結婚」報告以降のことを少し書くことにします。

 

結婚報告の時に、「彼女のことも紹介したい。」と言っていたのですが、

次の週は、私のコロナワクチン3回目の週だったので、熱が出ることが予想され

彼女との面会はそれ以降ということでお願いしていたのです。

待ちきれないように、コロナ週あけに息子から、日程の打診。

 

その週の土曜日の夜9時はどうか、というので、その日はお花見をいれていたから、

「申し訳ないけれど、日曜日の9時でもいいでしょうか? 土曜日は外出の予定があるので。」と言ったら、

快くオーケーしてくれた。

前回はなぜか夫がLine電話で、と提案したのですが、

息子がそのあと、「彼女が簡単なスライドを用意してくれたのでZoomでもいいでしょうか?」との打診。

もちろん、OKしつつ、スライド?何のスライドかな?と思っていました。

 

さて、打診があったのが月曜日。

その週は、2回カウンセリングを入れました。

毎日、スピークバディで日常会話をやり、英語なれしようとしました。

こちらは夜でどうしても部屋が暗いので、Zoom用のライトも密林でぽちり。

 

とうとう本当に息子の結婚相手と会うんだな。

わたしなんて馬鹿にされないかな。

英語しばらく話してないけど、話せるかしら。

いったい何を話せばいいんだろう。

とにかく感じ悪くないように、彼女さんに嫌な思いをさせないようにしよう。

 

心も頭もぐらぐらで、美容院に行ったり、美容師さんに話を聞いてもらったり。

40代子持ちの美容師さんは、「そりゃ、ぼくが同じ立場なら、やっぱり緊張するし、それが外国人ならなおさらだし、お気持ちはごく自然だと思いますよ。動揺して当たり前です。」と言ってもらえたのがうれしかった。

かつて思い描いていたような、肝っ玉かあさんみたいにはなれないし、と情けなく思っていたので。

 

夫は夫で、いろんな思いがあるようで、やっぱりそわそわしていた。

 

さて、もう何が何だかわからない状態で、とにかく笑顔で!ということだけ考えて、いよいよその日。

 

画面いっぱいにおおきな笑顔で現れた彼女は、上白石萌歌ちゃんに似た大きな目の愛嬌のある人。

へりくだりすぎもせず、尊大にもならず、いわゆる帰国子女的なお行儀の悪さも感じない。

とてもラフなトレーナー姿。

とにかくずっと笑顔で、ノンストップで自分の紹介をし、横で照れ気味の息子に話しかけ、

息子は彼女の言葉が足りないところを日本語で説明してくれた。

 

彼女は一人っ子で、実家は北京からかなり離れた、日本で言えば東北地方的なところにあり、

そこでお父さんは国営の石油会社でエンジニアをしているそう。

仕事で1年アメリカにいたことがあり、アメリカの良さを知って娘を留学させることにしたそう。

息子によると、とても無口な人らしい。

彼女によると、無口だけど、頭がよくてやさしくて尊敬していますとのこと。

スライドは、彼女の実家のあたりの産業や自然、お父さん、などを映したもので、

美しい湖などがあるなかなか良いところみたいだった。

 

私も、「きれいなところね」「すてきなお父さんね」などと言葉をはさみ、

気になっていたことも聞いてみた。

「息子のどこが好きなの?」

 

「知的で努力家でやさしいところ。見た目のハンサムさもとても好きです。彼は父に似ているんです。」

と笑顔で言葉を選びながら言った。

 

「一人娘さんと聞いたけど、あなたがアメリカで結婚することで、ご両親はお寂しくはないのかしら?」

 

「両親は、私がしあわせならどこでなにをしても許してくれます。そういう両親です。」

と言い切った。

 

夫が、「今後はどこで生活する予定なの?」と二人に聞くと、

息子は「彼女は日本に住みたいといっているけど、ぼくは今のところ賃金ややりたい仕事の将来性からアメリカに住むことを考えている。ぼくのわがままなんだけどね。」と。

 

まあ、日本のほうが中国にも近いし、彼女にとってはその方がいいのかも。

 

まあこんな風に、彼女がその場を笑顔ととぎれないトークでつなぎ、息子が通訳し、夫が聞きにくいことを結構色々聞き、わたしは笑顔でなるべくフレンドリーにふるまいながら、聞きたいことを聞いた。

本音をいうともっと親らしいことを言えたらよかったけど、「いくらでもこれからチャンスはあるでしょ」と夫。

夫は、最後に、「今まで息子を支えてくれてありがとう。また、素晴らしいスライドを用意してくれてありがとう。二人で助け合って頑張ってください。」と言った。なかなか立派だった。

 

あんなに悩んでどうしたらいいかわからなくて、死にたいとまで思ったこの数年とこの数週間。

終わってみれば、良い人で良かったと安心した。

とにかくあの笑顔と、心から息子が大好き、という様子が印象に残ったし、さみしさとむなしさと不安でざらざらだった気持ちが和らいだ。

 

そのあとすぐに彼女の印象を伝えたかったけれど、あまり正直に伝えても舐められちゃうかな、とか余計なことを考えて伝えそびれてしまった。

 

でもとにかく大仕事が終わったという「自分ここまでよくがんばった」という気持ちでその日は終わりました。

 

 

早稲田に入った息子は、はじめハモネプをみて気になっていたらしいアカペラサークルに仮入部したり、忘れたけど、割と女子率の高そうなところをお試ししていた。大学デビューを狙って今までとは正反対のことをしようとしていたのか。なにせ男子校出身なので女子免疫を付けようと思ったのか。このあたりは、女子高出身の私とそっくりかもしれない。

 

だが、結局、男子のみのサイクリング部に入部。

1年の休みはほとんど日本中の山岳地帯をマウンテンバイクで上ってはキャンプ生活をするという、結構ワイルドでハードな部活に入った。

どういうわけか、そういう合宿の前にひとりだけのキャンプをしてから合流するのがセオリーらしく、真っ暗な人気のないキャンプ場や、雪が降って遭難しそうな山のなかで野宿することもあったそうだ。

 

当然、家にいる時間はほとんどなくなり、それでも、帰宅したときに聞く冒険話が楽しみでもあった。

割と神経質で、体も強いとは言えず、剣道や空手はやってきていたが、草食インドア女っけなし派だと思っていた息子が、こんなワイルドな合宿生活に対応していることが驚きだった。うっかりカブトムシの入ったカレーを食べてしまったとか、台風が来たので、キャンプ場のトイレの床で夜を明かしたとか、私には絶叫物の経験も楽しそうに話していた。

 

私は、塾で高校生を教えながら、息子の不在を、ほぼ同年齢の生徒さんたちで埋めていたように思う。

娘が大学受験に差し掛かる頃、青天の霹靂的に、夫の上海駐在が決まってしまった。

 

娘の無言生活は続いており、人の出す不機嫌なオーラを敏感に感じ取って自分を責めがちなHSPには、かなりの修行の日々だったが、夫がこれからの大変な時期を共に過ごしてくれないというのは、耐えられないことだった。

 

夫も突然の事例に混乱しており、心に余裕がなく、私が自分の精神的な危機感を訴えても、「いいかげんにしてよ!」と言っていた。その言葉に、愕然としたし、反面、そりゃこの人も余裕ないしな、と変に納得もしたし、それでも、私のこのメンタルをなんとかしないとどうにかなっちゃうな、とも思ったので、TELの無料カウンセリングを使いまくりながら、どうしたらいいのかを考えた。

 

結局、夫がいかに大変でも、一度ちゃんと話したほうがいいと思い、東京駅のKITTEの中の夜景の東京駅の見える和食の店を予約し、会社帰りの夫と待ち合わせをし、話をすることにした。

不思議なことに、家の中ではいざ話そうとすると喧嘩になるのだが、こうして、人目もある場所で(夫の会社の通勤駅でもある)、おいしいものを食べながら、夜景を見ながら話すと、家の中では話さないようなことを話すことができるんだな、と思った。

 

お互いに今の状況を報告し合った。

私からは、①娘との無言生活に受験ストレス対応が加わると、精神的につらいので、離れていても、ラインなどでの相談、サポートはしてほしい。②週末には、テレビ通話をしてほしい。③年末年始、休暇には帰国してほしい。④現地の女性と不倫関係になる駐在員の話も聞くので、家事手伝いは頼んでもいいけど、料理をする女性は頼まないで、などのことを話した。

夫からは、①初めての場所で仕事内容もまだよくわからない。余裕がないので、そこは大目に見てほしい。②経済的には、ダブルインカムになるので我が家にとってはプラスになる。③自分的には、中国に興味がありこの仕事はやりたいと思う。④もちろん休暇には帰国したいし、サポートもするつもりだ、など。

 

また、仕事か。とは思った。

結局、家族<仕事なのかな、と。

この人は、一人で単身赴任してもあまり気にならないのかもな、とも。

(これはあとで、そうではないことがわかる。結果的に、あらためて家族のありがたみや私の(?)ありがたみを感じたらしい。)

 

娘の受験、息子の不在、夫の単身赴任、さらに、実家の母の手術入院と、それからの3年間は怒涛だった。

 

(続く。)