境
感覚が乏しくてよかったと思う。
敏感だったら、僕はすぐに壊れる。
非社交的でよかったと思う。
明るい人間だったら、余計と僕がわからなくなる。
半ヒキコモリでよかったと思う。
活動的だったら、真偽が今よりわからなかったろう。
疑い深くてよかったと思う。
でなきゃ、ここまで生きてこれなかった。
ノータリンでよかったと思う。
頭が足りていたら、この世界にサヨナラを言っていた。
僕は誰だろう。わからないけど、わからないけど。
「わからないから生きる」なんて言わない。
ナマケモノだから生きているんだ。
面倒だから、考えたくないから、僕はこうしてここにいるんだ。
本気で考え出す時。その時、僕の命が終わるんだろうな。
世界はこんなにも狂っている。僕はこんなにも正常だ。
世界はどうしてこんなにまともで、僕はどうしてこんなにキチガイなのだろう。
不確かを不確かと出来なくなった人間は、どうしたらいいのだろう。
ユメウツツ
馬鹿みたいに溢れた御人形さん達。捨てる価値はあるのだろうか。捨てない価値はあるのだろうか。それを決めるのは僕自身であるけれど、一体どうしたらよいのか分からない。最初から無かったならば、こうして苦しむことも無かっただろう。捨てるにしても、果たして僕だけで全てを廃棄出来るのだろうか。100年かけたとしても難しいのではないだろうか。リセットボタンがあればよいのにね。
いつも(?)の感じですか。直で書くのと比喩で書くのと、どちらがズキンと来るのだろうか。こうして「比喩」と言うのはダメだよね。何も言わない方がいいよね。人形の話です、という事にすればいいよね。
"worthless little queers and punks,"
ジョン・ウェイン・ゲーシーという猟奇殺人者が、彼が殺めた人達について聞かれた時に返した言葉だそうです。ちょっとお気に入りだったりする。と書くと変な目で見るんだろうね"普通"の人々はさ。僕の方がよっぽどノーマルだよ。真正面からぶつかってるよ。と言うと(略)
僕には誰も殺せませんよ。誰も殺さないか、みんな殺すか、そのどちらかがいいね。後者は難しいので前者であるわけだよ。
いやでも、沢山殺してますよ。僕は何度僕を殺したことか。どれが僕なのか。彼は生きているのかどうなのか。この僕はあの僕なのか。なにも考えていないその下にはどの僕がいるのか。考えている時の裏側にはどの彼がいるのか。僕は果たして僕であるのか。あの時殺した僕は僕だったのか。今の僕は誰なのか。
こういう具合ですか。健康な若者の悩みだよね。若者と言うか、思春期に片をつけておくべき問題なんだけど。ずーっと続いてますね。鬱陶しいったらありゃしない。
生きながら死に、死にながら生きる。起きて、寝て。寝て、起きて。
断定が出来たら簡単に生きていけるのだけれどね。出来ないから困るわけさ。
毎日の食事は脳ミソのスープ。
終わり。
マキロン
2年ほど前に買ったライターのお掃除をしてみました。逆算しないで下さい。
ジッポなのですが、最近どうも付きが悪かったんだ。石はまだまだ十分だったし、オイルも足りていた。こりゃあどうも汚れの所為だと思い、お掃除開始。用意したのはティッシュ、細めの綿棒、それとオイル。まさか水洗いする訳にはいかないだろうと。耳掃除にはマキロンを使用するけれど、まさかライター相手にそれは無いだろうと。という事でオイル。ライターオイル。
主に火がつくところ(何て言うんだ?)を掃除したのですが、黒い黒い。汚れが取れる取れる。多分、石のカスとかでしょうか。酸化してたのかしら。十分ほどのお掃除の結果、新品の感じになったような気が。シュパッと付きますね。なんだか少し嬉しい。汚れは綺麗サッパリ取れました。
それが何にせよ、他人のことをどうこう言ってもどうしようも無いわけです。良い事であれ悪い事であれ。
サイバーエージェントの社長が離婚しましたが、だからといってどうこう言うつもりもありません。ただ僕の中で、離婚って何だ、結婚って何だについて少し考える機会が出来た。未だにまとまりませんが。「どうこう言うつもりも無い」と言っておいてこうして名指しで取り上げているのはオカシナ話ですが。矛盾人間め。
人の事をかまう前に自分をどうにかするべきだと思います。これに終わりが無い以上、他人に口出しするなんて永遠に無理です。さあ僕を叩け。
気にかけるのは自分の事だけで十分だと。根底まで突き詰めると、僕は僕にしか興味がありません。ナルシストでは無く。このバカの行く末が楽しみで仕方が無い。皆さんそうだと思いますよ。特に「夢を持っている」人はそうでしょう。僕は持たない人だけどさ。
他人に気をかけた時、嫌になったら「もういいや」と投げ捨てる事は可能ですが、自分を嫌になってもそれが出来ない。自分ってのは、自分が気にかけなかったら誰も気にかけてくれないものなのですよ。隅っこでうずくまっている自分を助けられるのは自分しかいない。
僕らしからぬプラス思考+真人間さが少し気持ち悪かったりしますが。
兎に角。他人の言う事なんていい加減です。適当。どちらの意味の「適当」も含むとは思いますが、1ヶ月位したら「そんな事言ったっけ」となりますよ。他人の言う事を鵜呑みにしちゃあいけないよ。適当なフィルタリングが必要です。この「適当」も二つの意味。逆を言えば、自分が必要だと思うものだけを信じればいいわけです。そしたらハッピーでしょ?
僕に前向きな記事を書かせると何だか気持ち悪いね。「書かせる」と言うか、勝手に書いているわけだけれども。
ちょっと哀しい事かもしれないけれど、自分を心底必要としているのは自分自身だけ。自分を心底必要と出来るのも自分自身だけ。それでも「誰かのために」をしたいのであれば、誰にも負けないほどの「自分のために」であるべきだ。
絶対的に揺るがない「自分のための自分」
それが無い人間に、他人をとやかく言う資格は無い。
いつもの僕の記事を見ている方からしたら、「とうとう本当に頭がオカシクなったのか」と思われても仕方の無い感じですね。僕自身を棚に上げているでしょうし。個人を挟まなかったら真っ当でマトモな話だと思うけどさ、でもやっぱり僕のフィルターがかかっちゃってるんだろうね。
僕の前向きはいつまで続くのか。いやいや、いつもが後ろ向きだとは思わないけどさ。でもね、元々温厚なんですよ。信じなくていいけど。
終わり。
ふふふのふ
表計算ソフトって凄いね。ポアソン分布を自力で計算しなくてよいのだもの。いや、自力でもやりましたよ、直ぐに出来るモノは。ハッキリ言って無理、ってヤツは「Quattoro Pro」にお任せしました。でもね、ポアソン分布の関数が入ってると知ったのは結果を出した後だった訳ですよ。ちょっと面倒な方法でやったよ、ということです。最初に関数探せばよかったのにね。しかしね、何で「poisson」で「ポアソン」と読めるのか。フランス人だから?そういう事なんだろうね。講師の字が読みづらくて、最初「poison」かと思ってたよ。反町。
ユークリッド原論の5つの公理の5つ目、「全体は、部分より大きい」について「?」と思ったのだけれど、辞書で「部分」を引いて解決した。Aを全体、Bをその部分とした時に、Bを広げていけばAと同じ大きさにまでなれるじゃないか、と思っていたのだが、部分の意味は「全体をいくつかに分けたものの一つ」であるのでAよりは小さい、と。「いくつか」ってのは1よりも大きいよね?無論、Bも全体にはなれます。ただしそれはAより小さな全体。こんなもん基本か。とは言え、この公理の解釈がコレで"いい"のかは知りません。多分こんな事を言っているんですよ、的な。小学生の頃に悩まなかった事を今更悩んだってのは進んでるのか退いているのか。感覚的理解から理性的理解、という事にしても、遅くないか?結局は何も変わって無い訳ですが。
小さい頃と比べて「考える時間」が減ったように思うよ。誰でもそうだと思う。「当たり前」が増えちゃうからね。
ルール、好きですか?ルールがあったら反抗したくなるのが人間じゃない?でもね、反抗したら酷い目にあうルールもあるわけですよ。「御約束」というルールにいくら反抗した所で、何にもならないわけですよ。不完全性原理。でも、それをしてしまうのがアホな人間な訳ですよ。悩んでもどうしようも無いくせに悩むわけですよ。バカだなー。正直止めてもいいかもしれないけれど、でもやっぱり止めたくない。
はっきり言って、無意味なんだよ。わかってんだよそんな事はさ。
こういう時にね、所謂「名言集」ってのを読むと、「みんなバカタレだー」と思うと同時に「もうちょいやってみよ」とも思いますよ。人間ってのもまだまだ捨てたモンじゃないかもしれないね。あらやだ、褒めちゃったよ。
自分を納得させることの出来る妥協ラインがイマイチわからないのよ。本を読んでみたらいいのかな。偉人とされる方々の本を読んでみたらいいのかね。お金ないす。図書館で借りるとか?返したくないす。まぁまぁ、本当に読みたかったらそのうち何とかするだろうよ。
疑うことを知った人間は幸せなのか否か。どっちでもいいよ。幸せと不幸せの明確な定義が無い以上はナンセンスだもの。個人的には"どっちでもある"かな。楽しかったりもするけれど、大抵は苦しい。けどもやっぱり楽しい。そんな循環。チョイマテ。楽しいのが"幸せ"で苦しいのが"不幸せ"だと思われてるんじゃないか?逆だったりもしますので、注意。なんの注意だ。
何と言うか、このモヤモヤする感じ、よいね。あーごめんなさい、よくわからないよな。あんまり流れと関係無いから。僕って"変な子"なのかね。"子"って歳でも無いか。既存の理論体系から外れた新しいモノをよしんばつくる事が出来たとしても、そいつも既存のものを内包する"理論体系"に過ぎない訳ですよ人間がつくる以上。「よしんば」という語は途中に挟んでもいいのかな。人間が想像可能なことは既に出尽くされたんじゃないかなぁ。ってのはいつの時代の人間も思っていたことなんだろな。これから先に何が待っているのか、そんな事は考えても仕方が無い。予想を立てるのは役に立つかもしれないけれど、100の予想を立ててみても1つも当たらないかもしれない。どれだけ予想に真実味があっても、そうなるとは限らない。あー、この世界に生きてて良かったような悪かったような。マテ、過去形にしちゃあダメだ。まだ生きているらしいから。
どうよこのポジティブ具合。元気やんか僕。
後で来るであろうディプレッションに期待。
終わり。
ごろごろごろごろ
物理的行動範囲は精神的行動範囲にどのように影響するのだろうか。プラスなのかマイナスなのか。大概の人は「プラスだ」と言うように思う。そうなのかな。僕の場合、多くの物理的行動は苦痛でしかないんだけども。物理的行動のクセして、受けるのは精神的苦痛。どういうことなん?よくわからんが、係数はネガティブっぽいね。でも、僕の精神的行動範囲がどの位のものかわからないからな。大分小さいと思うけれど。小さいなら小さいで、この上ないほどの小ささを目指したいな。「この上ないほどの小ささ」という変な表現。僕は好きだ。
沢山寝ましたよ。16時間位かそれ以上。寝てませんでしたから仕方が無いですよ、という言い訳をしておこう。
起きたは起きたんだけれども、何だか嫌な起き方だったよ。いや、何だか嫌なのは起きた後か。「僕は誰なんだろう」なんて、考えても仕方の無い、でも考えずにはいられない問いが起き抜けの無防備な状態の僕に突撃かましてくれまして。元々、「思い出」と言われるものに関する記憶力が無い人間であるので、ソイツに頼ることも出来ず。5W1Hと言われるもの全部、わからなくなった。本来わからないモノなんだろうけどさ。僕は一体何なんだろうな。困る。どうやら人というモノらしいけど、その"どうやら"はどの位信頼出来るものなんだろう。僕の書いている・読んでいる日本語が、君の書く・読む日本語じゃないかもしれない、って事に通じちゃうかね。浮遊。
どうしようもないのでこの話はやめよう。
物覚えの悪さには定評がある僕です。誰の評価かと言えば僕ですが。自分で自分を評価しようってのは無理ですよ。いや、出来るんだけど、自分だけで出来ている訳じゃ無いのなら無理。ちょっとコレも書けない。なんだか乗りませんね。脱力と言うか、何だろう、まだ疲れてるのかな。
あー、やっぱり「僕って何なんだろう」が出てきちゃう。上手く思い込める、騙せる方法は無いですかね。答えが無いのならさ、でっち上げてソレを信じ込むしか無いわけだよ。みんなそうして生きているわけじゃないですか。真実なんてどこに転がってるんだチクショウ。
なんか、ポジティブ欝。いや、これは欝でもなんでもない。人間がつくられた時からの仕様だろう。僕に合うパッチが未だに見つかってないって事かな。不便ながらも動くわけですよ。いつどこで止まるかわからない、大きな欠陥を残してはいるけれど。
バランス取るのが下手なんだろうな。もしくは知らないんだよ。20年も生きてるらしいから、上手い方法を知っててもいい筈なのにな。
どうも弱音を吐いてますね。
日本って煙草安いよね。さっき計算してみたんだけど、1年間煙草を止めたら日本円にして15万くらい浮きますね。あほかー。安定剤を買っていると思えばそんなに高い買い物でもないかな。でもさ、効いてないんじゃない?
気持ち悪いよ君ら。全てにおいて。
とまた閲覧者を減らす事を言ってみるけれど間違いでは無いでしょ?生きている時点で気持ち悪いもの。何を言った所で僕も「気持ち悪い集合」に含まれているんだけどさ。気持ち悪くないフリをする人間も気持ち悪い。全面に気持ち悪さを出す人間も気持ち悪い。じゃあどうしたらいいんだろうな。いいさ、結局何をしても気持ち悪いんだから。あんまりネチネチとはしたくないけれど。同じ「気持ち悪い」ならスッキリとしたそれがいいな。今はどうなんだろうな。僕のスッキリは僕のスッキリでしかないし。何も変わらんよ。
なんか、調子が戻ってきたような。あんまりよくないよね。悪い方向に持っていくのは簡単なんだ。気持ちも入り易いし。良い方ね、何を言っても嘘臭いんだよね。どれだけ思っていても、なんだか嘘臭くなるんだ。難しい。
あぁ人間って素晴らしい。
ほらね?
「嘘臭くなる」と書いた後だから仕方が無いといえばそうなんだけどさ。どこがどう素晴らしいのか具体的に書かない所為もあるだろう。でも、クソみそに言う時も具体例を出していないんだな。いつも例示しないのに、どれだけ本気度が分かるのだろうか。わかんないよな。「~だからクソだ」の方が分かり易いだろうけどさ、見れば分かることをイチイチ言わなきゃダメなのかなーとも思う。卑怯だよな。「ひきょうのことなり」の「ひきょう」は「悲境」なのか「悲況」なのか。「秘境」では無いよな。
兎に角さ、具体性の無い批判は何の意味も成さないわけだ。結局垂れ流しにしか過ぎないわけだよ。それが分かってるに何でやっているのかね。鬱憤晴らし?そんなモノ無いはずなんだけどな、ノーストレスだから。全然レストレスじゃ無いし。不思議。
大分長くなったのでおしまいに。
終わり。