他者にとって善き存在でありたいというか、自分の正しさに殉じたいというか。自分の内心が先立ってあり、そこの本質に「他人に優しくあれ」と書かれているゆえに私は優しくあらなければならない、というか。


偽善の違いって何ぞや?と、私は思うわけです。何か自分の正しさを遂行する度に、もう一人の"私"が囁いてくるわけです。「それは本当に純粋な善きことなのか?それはお前のエゴから来る偽善なのではないか?」と。


多分私が自分を偽善者と冷笑するようになったのは、小学生の頃。六年生の頃かな?クラスのほとんどが転校生を虐めていることが明るみとなり、"クラス全員で"その転校生にひとりひとり謝る時間が設けられた時。


何を言ったか今となってははっきり覚えていませんが、まあ。同級生に「偽善者」とぼそっと言われたことは覚えている。私、根に持つので!(うるさい) だって虐めとか賢くないじゃん。バレた時のリスクがデカすぎる。思えばこの頃から、「クラスの中心にいることはいるけど、変わったスタンスの子」だったのだなと思う。


偽善者ってラベリングを己に貼ると生きやすくなるもので、全てにおいて「ああ、私の善行って私が善い人だと思われたいことの証明だ、エゴだ」となるわけです。自分に期待しない、みたいな。まあ……高度な自己防衛って感じ、なのかな?「偽善者と嗤われるより、先に自分の善性をこき下ろして蔑んでいた方がいいよね」ってこと。


……いやでもさ〜 ちょっとは信じたくなるよ、自分の善性。ていうか偽善者とか本当は言われたくない。(言われたくないからこそ、私は"偽善者"という枷で初めっから私を縛っておくのだろうけれど。) 端的に言えば、傷つきたくないから己を傷つけてる、のだろうな。


独善的に生きたいよ〜〜 生きられたら楽なんだろうな。誰にも傷ついてほしくないよ、私以外には。


ここまで読んでいただきありがとうございました🥺🥺書き殴ったから誤字脱字あっても見逃してね🥺💚 今日から?昨日から?めちゃくちゃ暖かいから、みなさん寒暖差に気をつけて😎良き日を〜