日曜日、どっかいきたいとこある?と、きいたら、ゆうくん(下の子)が、「立ち食いの、きつねそばが、たべたい」、と、いっています。
ゆうくんは、おそばが、だいすきなのです。
なにしろ、お誕生日にたべたいのは、「そば」。
運動会でもってきてほしいのは、「そば」。
いっしょに博物館に行っても、かえりにかならず、駅の立ち食いそばをたべてきます。
あしたは、電車にのって、どんどん、どんどん、どこまでも行って、きつねそばを食べてこよう、と、おもいます。
しばらく、ブログを更新できなくて、また、ブロ友訪問、コメントなどできなくて、ほんとうに、ごめんなさい。
私自身の、壁があったようなきがします。
仕事も、いろいろ、たいへんではありました。
めざすべきものは、会社のみんなが、いきがいをもって、しあわせになること。
クライアントの満足をとおして、社会のやくにたつこと。
しかし、取扱量をおおくしたり、規模をおおきくすることが、かならずしも充実感をあたえてくれるとは、かぎらないのです。
クライアントとの、トラブルも、経験しました。しょっちゅう、怒鳴られます。
日本の景気がよくなることは、ほんとうのしあわせにつながるのか、よくわからない。
放射能の水は、まいにちまいにちあふれだして、どうにもとまらない。
放射能除去は専門でない、電力会社の東電は、「ALPS」という機械で、放射能をとりのぞこうとしてますが、トリチウムは、とりのぞけない。
といっても、わたしは大学院で、「トリチウムでラベルした、チミジン取り込みの測定」というのをやりましたが、トリチウムは、半減期もみじかいし、たいしてつよい放射線はでません。
むしろ、P32という、リンのアイソトープは、重い粒子線をだすし、遺伝子に入っていくので、ノーザンブロットの実験がおそろしかった記憶があります。
cDNAの精製で、エチジウムブロマイドという、発がん性の強い蛍光色素をこぼして、教官におこられたことがありました。ハイターで拭けば、しんぱいないとおそわったのですが。
ところで、ブログネタは、いっぱいあったような気がする。
「低炭水化物ダイエット」とか、「日本人にはネアンデルタール人の血が混じってるけど、アフリカ人には混じってないのはなぜか」、「イギリス近代のクラシック音楽」とか。
しかし、いまは、文章がすすまなくなってしまったのです。
スランプなのか、更年期か??
ひっこしは、どうするのか、家族は、どうなるのか。
さて、来週からは、専門学校の授業がはじまる。
教科書が改訂されてるので、レジュメのプリントを、つくりなおさなくてはいけない。
プリントなんて、作らなくてもいいのかもしれませんが、わたしの授業をよろこんでくれたひと(ぢゅんこさん、とか)もいるので、うけてよかったなぁ、という、講義にしたい。
13日には、ほかの企業のかたのまえで、ちいさなプレゼンもある。
ニッチな製品をとりあげたので、よろこんでもらっているのです。
しばらく、そこらに、集中しなくてはいけないのです。
それで、うりあげをあげて、みんなのお給料をかせぎ、わたしはごはんをたべているのです。
ブログの、一時休業を、おゆるしください。
*写真:中公文庫の、「正統と異端(堀米庸三)」。
ヨーロッパ精神の矛盾は、わたしの、ながくつづく、勉強のテーマです。
以前のブログで、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」をあつかったことがあります。
中世のカトリック教会で、「清貧論争」というのがありました。
ベネディクト修道会は、広大な領地をもち、「笑い」を否定します。
一方で、アッシジの聖フランシスコは、清貧な人生をあゆみ、笑いをゆるしました。
巨大な現世の権力と財産をもったローマ法王(イノセント3世)によって、いっさいの私有財産を否定するフランシスコ会は、なぜ、異端としてしりぞけられなかったのか。
「正統と異端」は、50年もまえに出版された本ですが、今春、文庫として再版されたのです。
本文の日本語が、独特のむずかしいいいまわしで、とっつきにくく、格闘しています。
したは、オックスフォードで活動する混声の声楽ユニット「イ・ファジョリーニ」の合唱による、イタリア・ルネサンス期、ガブリエリのマドリガル(世俗曲)集。
オックスフォードは、わたしにとって思い出深い土地なのですが、ヒリヤード・アンサンブルとか、すばらしい声楽アンサンブルが、たくさんあります。
このCDは、イギリスのクラシック専門FMラジオ「クラシックFM」で、月間ベスト盤になったのです。
それでは、みなさん、おやすみなさい。