今日はある初老の男性のお話です。彼はあらゆる内臓を病んで入院しベッドに臥せっていました。特に重症の糖尿病が併発し代謝障害による両足の神経炎の激痛には一日中苦しみその痛さは強烈なものでまさに瞬時の休みもない激痛です。60キロの体重は40キロに落ち、腰から下を切り取ってほしいと思うくらいです。激痛が一年を越えたころ肉体的にも精神的にも参ってしまっていました。「今まで家族の為に人の二倍も三倍も働き、その結果過労のために重病になってしまった、神も仏もない」と、毎晩泣いたそうです。しかしこの人はその後さらに一年もこの状態が続いたにも関わらず、自殺からも救われ痛みにも耐えられたのです。それは目には見えない心のスイッチの切り替えによるものでした。それは、、、、彼の母親が口の中にガンができ別の大病院で手術し、その同じ外科に交通事故で背骨の神経が切れてしまった28才の男性が入院していました。下半身が麻痺し一生歩けない状態です。自分の不運と不幸を嘆き「死ぬまでにどんな痛みがあろうといいからもう一度足に感覚が戻り歩いてみたい」。「ゆうべも歩いた夢を見た」と嘆いているのを、母親は激痛で苦しんでいる息子を見舞い話したのです。男性はこの若者のために涙し哀れみました。「そして痛みがあるのは神経があるからだ死んでしまったわけじゃない、、痛みさえなくなればまた歩けることも出来る、神にも仏にも見捨てられた訳じゃないまだ可能性がある」
そう思ったのです。そして180度の転換をしたのです。病気こそ人生修養であり、自分を深く反省させ自分を鍛え、心を育ててくれるものだと考えるようになりました。その後の彼は併発した気管支拡張症で喀血もひどく最高血圧も百を割ってしまいます。地方の病院の手に負えずに見放され、死ぬなら家でと、家に戻ります。しかし一命をとりとめることが出来ました。玄米自然食と、「気持ちの切り替え」により病気を克服したのです。これは20年以上まえの本当の話です。
他人事ではないですね人間誰しもいつ、どんな病気になるかなんて分かりませんよね。病気も天が与えた-恵みの休息-と考え、苦しみを過去の誤れる生活の糧と考え、人生は考えかたひとつによって作られていくものです。幸せな人生を送るためには物事を良く考え、良く解釈し、良く思う心掛けが大切ですね人に寛大であることもそうです。誰しもいつ病気になったり失業したり愛する人との別れがあったりするかわかりません。突如として不幸に見舞われたとき、それに耐えうることのできる人生感や人生哲学を持つことが必要ですね。

昭和60年3月17日、
イランに住む日本人を絶体絶命の危機が襲います。
その危機を救ってくれたのはトルコの人たちでした。


それは当時のイラクのサダム・フセイン大統領が世界に向けて言ったこの言葉から起こりました。

「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ すべての飛行機を撃ち落とす。」

当時イランにはたくさんの日本人が住んでいました。
すぐに日本人は空港に向かい、イランを脱出しようとしました。でも、どの飛行機も満席で乗ることができなかったのです。

タイムリミットまでまもなく1時間。空港にいた日本人はパニック状態になっていました。


すると、そこに2機の飛行機が到着しました。それはトルコ航空の飛行機でした。
飛行機は空港にいた日本人250人全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。

こうして間一髪で危機を乗り越えることができましたが、なぜトルコ航空機が来てくれたのか、
実はこのことを日本政府もマスコミも全く知らなかったのです。

その真相を当時の駐日トルコ大使はこう語っています。

「1890年、和歌山県の串本町で起きた
エルトゥールル号の遭難事故に際し、
村の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を
今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学校の頃歴史の教科書で学びました。
トルコでは子供たちも
エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、イランで困っている日本人を助けようと
トルコ航空機が飛んだのです。」


恩返しだったんです。いったい何の恩返しだったのか、次に、その遭難事故のお話を書き込みますね。


今から117年前、明治23年9月16日、和歌山県の串本町を台風が襲いました。
そのとき一艘の大型船が遭難しました。
そんな遭難した人たちを救おうと村の人たちは必死で救出作業をしました。

灯台の灯り以外は見えない嵐の夜の海。灯台守は大きな船が岩に激突して爆発する音を聞きました。急いで灯台の下に下りると傷ついた一人の船員が倒れていました。「あなたのお国はどこですか?」と聞きましたが言葉が通じません。やがてこの船員がトルコの人でエルトゥールル号というトルコの船であることがわかりました。
さらに多くの船員が海に投げ出されたことを知りました。さっそく灯台守は救出のために真っ暗な夜の道を走り村の人たちに助けを求めました。村の人たちは総出で救出作業をしましたが、500人以上もの人が命を落としていきました。それでも1人でも命を救おうと村の人たちは裸になって船員たちの体温を温め、必死に励ましの言葉を投げかけました。そんな思いが通じて69人が息を吹き返しました。助かった69人は村のお寺と小学校に収容されました。しかし、当時村は貧しくておまけに台風で漁ができなかったので、食料がどんどんなくなっていったのです。そんな状況の中でも村の人たちは69人のトルコの人たちを助けたい思いでいっぱいでした。

当時それぞれの家では非常食として鶏を飼っていました。でも、鶏を食べてしまったらもう完全に食べ物はありません。それでも村の人たちは鶏を料理してトルコの人たちに食べさせてあげたんだそうです。このお話は和歌山県知事に伝えられ、明治天皇にも報告されました。明治天皇はすぐに串本町にお医者さんを派遣し、
生存者全員を軍艦に乗せてトルコに送り届けました。この話は日本中に大きな衝撃を与え、全国から善意のお金が寄せられトルコにいる遭難者の家族に届けられたそうです。このような歴史があったことを、知っていましたか?

トルコの人たちは、日本と友好的という理由がわかりました。

ずっと伝えていきたいと思った、本当にあった心温まるお話です。


私も知らなかった事実なので紹介させていただきました、実は私も祖母から戦争体験などを聞き非常に困難な時代を生きて子供を育て私たちがいる事を学びました、教科書などで学習する事も大切ですが私たちの精神を子供に伝えていく事が人間の精神(心)向上のような気がします。


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ネネパパですm(_ _)m今年もあと少しで終わりますね、今日は雪です私たちの家は山の中ですので当然かもしれませんね(笑)今日も新聞では嫌な記事がありました、親の虐待と法改正の内容です。
狂っていますよね人間がおかしくなって来ています、極端に子を嫌う人や極端に子を可愛がり過ぎる人。しかし気づき出している人達も多くなっています、精神性や生き方や食に。敏感に感じ感謝し実行する人や色々な形で今の世の中の歪みを人に伝えている人など。世界的にますます険しい世の中になろうとしている気がしますが、気持ちの良い生き方がしたいです。
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