日々上等!

日々上等!

再婚した時は55歳だった
とらちゃんは62歳になりました。私は多発性嚢胞腎、多発性肝嚢胞、橋本病、冠攣縮性狭心症、神経痛などでヨロヨロ。
2人で力を合わせて生きていくはずだったのに。とらちゃんは私を残して逝ってしまいました。2024.4.2

週末は何度呟いただろう。

「ごめんね」

 

とらちゃんの写真に向かって

甘えてくる文太に向かって

「ごめんね」

 

これから先を不安なままにさせてしまった事に

亡くなった後まで心配ばかりさせてしまう事に

「ごめんね」

 

一生懸命やってもどうしようもない事がある

どんなに伝えても寄り添えない人もいる

助けてくれようとしても思うように動けない人もいる

みんなに心配を掛けて

「ごめんね」

 

前を向いて動こうとするだけで

頑張って生きようとするだけで迷惑な人間になってしまったよう

「ごめんね」

 

とらちゃん

置いていかないで。

連れて行ってよ。

いつも一緒だったのに。

頑張ってくれたのに幸せにできず

「ごめんね」

 

今日もお仕事行って来ます。

あと2週間。がんばってくるよ。

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3ヶ月ぶりに母に電話をした。

何事もなかったように話をする母。

「そんなもんだ」と心の中でため息。

 

この3ヶ月の間に母の妹と何度か電話をして

手紙のやり取りをしていた。

一週間前に母の妹、、

H姉さんが私の事について母に

電話をしてくれた。

母は「一緒に暮らすつもりはない。

A(私の弟)にもそう伝えている」と

かなり強い口調で喚いたらしい。

 

昨日は電話口で母は私に言った。

おばあちゃん「あなたは今どこに住んでいるの?」

お母さん「大阪にいるよ」

おばあちゃん「そうなんだ。鹿児島にいると思ってた。

この前Aにあなたの事を聞いたら

大阪にいると言われた。

本当だったんだ」

 

私は鹿児島への引越を考えて

家を探していたけれど

鹿児島での仕事が

見つかってからじゃないと

新しい家への引越が難しい事を伝えた。

今後、遠隔で仕事を見つける事は

なかなか難しく

引越も難しいから鹿児島には

帰れない事。

そばにいないから私は何かを

してあげる事はできない事。

 

そこまで話したときに

おばあちゃん「鹿児島に帰って来ればいいのに」と

言い出す。

お母さん「だから、住む家がないから

鹿児島には住めないの」

おばあちゃん「いつかは一緒に暮らせると思うんだけど」

お母さん「とにかく、今は鹿児島に

帰ることはできないから

Aの言うことをちゃんと聞いて

元気にしていなさいね」

そう言って電話を切った。

 

正直、私がもう少しでも若かったら

多少の無理をしてでも休みの日に

顔を見に行くことも

できたのかもしれない。

だけれど日々の生活でも精一杯の体力と

今の精神状態では難しいのだ。

 

今まで助けてくれていたとらちゃんが

いなくなってしまったのだから

できるだけ体力を温存しながら

日々を生きていかねばならないのよ。

 

H姉さんとも話をしているのですが

激高型の母は難しい人で

平気で人を傷つける言葉を

投げつけるしそれに悪気がない。

傷ついた人、弱い人に

寄り添う気持ちの薄い人なんだよねって。

なんとか帰れる方法があればね。

模索をしていない訳じゃないのですが。。。

帰ったところで

私はあの母とは暮らせない気がします。

 

いつも言っていたのに。
『無事に帰ってくるのを
楽しみに待ってます』って
いつも返事してくれたじゃない?
『ありがとう』って

お盆は帰って来ますか?