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出張帰り

 投稿日時2015/8/23(日) 午前 5:52  書庫祭  カテゴリー祭りと伝統

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7月25日。
早いもので、牛頭天王だか素戔男尊だかの八坂神社の神様の2泊3日の出張も、もう終わりです。
毎日接待を受けて「もっとのんびりしていたいよ~」という神様の気持ちとは裏腹にその目前ではお帰りの準備の八丁締めの封印解き作業が行われています。



9時、「暑いから早めにお帰り願おう」という感じで還御祭開始です。



9時25分、自宅兼仕事場に向けて出発。



渋る神様をなんとか出発させて



名残を断ち切るように八丁締めをくぐって



来た道を帰ります。



途中、往路と同じく共販センターと塚本ガソリンスタンドで10分休憩をしましたが、城内を通り、




田町まで来れば鹿島神社はもう目と鼻の先。



10時30分。無事鹿島神社到着。



は~、やっぱりおうちが一番。



でも一服したらすぐその後にお仕事が待っています。
ちょっとあわただしい。

なのですが、大昔はもっと地方巡業の期間が長くて9泊10日もしていたようです。
1867(慶応3)年では6月の15日に出かけて6月の24日に帰って来ていました。

ん?6月?

益子祇園祭は毎年7月23日~7月25日です。
6月に行われているのは夏越の祓い、茅の輪くぐりです。
旧暦では4、5、6月が夏とされていてその最終日、6月晦日に夏越の祓いが行われていました。
旧暦のひと月とは新月から次の新月の前の日までで、その月が何月になるかは、その月の中に24節気のどの気(「中」とも言います。)が含まれるかによって決まります。
で。6月中は「大暑」。
んで、1873年に新歴が用いられるようになると、さて困った。
新歴の6月30日は大暑より前。つまり大暑前に夏が終わってしまいます。
結論。
「夏越の祓い」は日付にこだわりました。
新歴になっても6月晦日に茅の輪くぐりをしよう。大暑前でもいいじゃん、と。
なので、益子祇園祭も日付にこだわって旧暦で7月に行われていたのだから、新歴でも7月に行われている物なのだと思っていました。つまり盆過ぎの秋祭りなのだと。
ところが、江戸の旧暦時代には6月に行われていたのです。
つまり夏祭り。
だからと言って新歴になっても6月にやろうという事になると、ちょうど梅雨の真っ最中。それに……。

切り替があった1873年は旧暦と新歴の差が少ない年で、旧6月24日は新7月18日とほぼ1ヶ月。
という事で、月遅れの7月に行われるようになったのでしょうね。
(ちなみに今年はその差が最大に近くて8月8日です。)
よって夏越の祓いと祇園祭の順番が入れ替わってしまいました。

夏越の祓いは新歴日付に移行したため、ちょうどアジサイの季節と重なり「あじさい祭り」となり、日付も最終土曜日と柔軟対応されてきましたが、日付ではなく時期にこだわった祇園祭は、真岡や茂木の祭りが7月最終週末(第4だったかな)と行いやすい日に変わったにもかかわらず、7月23~25にこだわっています。
期間は短縮されたのにね~。
だから平日確率が高くてやる人も見る人も少なめなのが常。
特にやる人が少ないと大変。海の日に連休した直後に「祭りで3連有給ください」とは言いにくいでしょうから。
でも私はこの日付固定好きです。

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