<おまけ Vol32                                    三代目へ豆まき>

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 投稿日時 2012/2/5(日) 午前 6:26  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 




 3月17日(2010年)、栃木県にある東芝ライテック鹿沼工場での白熱電球製造が終了となった。これは2008年に経済産業省から発表された白熱電球製造販売中止計画を受けたもので、今後その他の会社でも2012年までにその方向に進むらしい。ノスタルジック的には寂しい感じもするが、白熱電球が無くなっても特に困る事は無いようにも思える。
 あれっ、ノスタルジック的には寂しい……?
 白熱球は我が家においてはまだまだ現役である。玄関、廊下、便所、細工場、黄色っぽい光に包まれている。実家のリビングも調光式で白熱電球を使っている。(あれはLED電球でも使えるのかな?)
 全くノスタルジックにならない。
 時代を遡って頻繁に旅に出ていた学生時代。めったに使わない学習机の上には白熱電球のスタンド。リビングは前述の通り。だから旅に出て白熱電球の照明があってもそれがそれとして強調されている様な所でなければ―たとえば観光用に公開されている古民家の囲炉裏のある部屋とか―全くそれを意識する事も無なかった。
 ただし、ひとつだけ旅行中にそれを「おおっ!」と認識する物があった。列車の車内灯である。
 その頃(1980年代前半)近在の列車の車内灯は全て蛍光灯であった。更にそれ以前の記憶をたぐってみても車内灯が白熱電球という記憶は無い。
 国鉄で初めて車内灯に蛍光灯を使用したのは1948年に製造されたマロネ40という寝台車であった。しかし、蛍光灯は交流電気でなければ点灯しないものなので、この時は車軸に付けられた発電機による直流24Vを交流100Vに変換する装置(つまりインバーター)の具合がよろしくなく普及には至らなかった。時は経ち、1960年に車両蛍光灯照明器具用トランジスタインバーターが完成すると蛍光灯が標準となって行った。ただしこれは客車(機関車に引っ張ってもらう自分では走る事が出来ない車両)やディーゼルカーの話。電車では架線からの電気(直流1500V)で交流100Vの発電機を回すという力技をもってして1950年代中ごろには蛍光灯が使われ始めていた。いずれにせよ私が生まれる以前の話である。よって白熱電球列車の記憶がないのである。
 初めてそれを意識したのは初めて乗った寝台車であった。
 上野発の夜行急行「越前」。連結されていたのはひと昔前の古い客車。むろん天井には蛍光灯が、座席車に比べると少し暗い感じもしたが、それでも燦々と輝いていた。だが、枕頭の読書灯が白熱電球であった。
 もっとも、白熱灯と言うよりは豆電球と言える代物ではあったが、カーテンを閉めるとできる狭い狭い空間を暖かく照らしてくれてなんともほのぼのとした気持ちになったものである。その後のブルートレインと呼ばれた寝台車では空間が広くなりそれをカバーする為か読書灯も大きくなり蛍光灯化されあのほのぼのは味わえなくなってしまった。
 この「越前」にはこの他にも白熱電球が使われている部分があった。座席車車両の乗降口デッキである。
 座席車車両はやはり、いやふた昔以上古い、蒸気機関車とともに活躍していた世代の物である。むろん車内灯は蛍光灯に取り換えられていたが、デッキのそれは白熱電球。煌煌と白く明るい車室に比べて二つ三つトーンを落としたデッキは旅人を優しく迎え入れてくれた。
 かように、細々ではあるが白熱電球の温かみが東京近辺でもまだ見られていたのだが、地方へ行くと、もうすでに無くなっていたと思っていた車内ごっそり白熱電球という車両がやはり細々と生き残っていた。
 夜行鈍行から乗り継ぎ乗継して乗った大糸線南小谷発のディーゼルカーの座り心地は妙であった。ボックス席の窓際には友人。私は通路側。二人並んで座っているが暑さと何より男同士という事でぴったりとはくっつかずに座る。すると私の尻が座席からはみ出してしまう。これは座席が狭いという事だけでなく通路側に肘掛がないからでもある。まっすぐ前を向いて座ると何とも落ち着かないので通路に足を置いて斜めに座る。そんな体勢でまばゆい日差しの夏の姫川を眺めているとトンネルに入った。
 すると車内が真っ暗になった。いや、真っ暗ではない。非常灯は点いている。ん?、非常灯?
 以前夜間走行中の列車が故障で停まり非常灯だけの時間を過ごした事があるがそれに似ていてちょっと違う。非常灯は車内の何か所かにポツポツと点くだけなのにこの車両は天井に付いている明かり全てが非常灯だ。
 トンネルに入った直後は目が慣れなかった為向かいに座っている人の顔すらよく見えなかったが、目が慣れれば納得。白熱電球車両初体験。これはアツアツカップル向きの車両だ。
 この時の感想は、未知との遭遇ちょっとドキドキでも楽しい、という感じであったが、白熱電球車両乗時の感想はその時々の状態でかなり変わるようである。と言うよりその時の気分を増幅させる作用が強いように思える。
 野上電鉄。年末に関西のちょっとマイナーな路線を乗り歩いた最終日。メリハリある鉄路たちの最後の仕上げ。薄暗く寒い無人の車内に時折聞こえるのはコトコトというコンプレッサーの音と運転手の咳払いだけ。なんか妙にしみじみ。今年ももうおわりだなぁ。
 鹿児島交通。この路線に乗る為だけに東京から一晩列車に乗り続けてやって来た。のんびりゆらゆら走りトンネルに入る。あー、このまま帰るのもったいない。う~ん、春だねー。
 夏の下北半島めぐり歩き。海も良かった。山も良かった。風も良かった。でも今夜の宿はどうしよう。今日出会った人たちは今頃風呂入って一杯やって。はー、何処に泊ろう。なんだか家に帰りたくなってきたなー。
 これが蛍光灯車両だったらここまで感傷的にはならなかったのではないだろうか。 
 さて、そんな列車から足を降ろした駅のいくつかにも当然白熱電球の明かりがあった。
 いゃ、あったのであったが……、である。
 先にも書いたように旅行中に白熱電球を奇異に感じたのは車内灯だけで駅にそれがあっても意識していなかったので記憶に全くないのである。
 で、アルバムをひっくり返してみると白熱電球の付いている駅頭での記念写真や白熱電球が点いている駅舎の写真が散見できる。ホームの明かりが白熱電球であろう物もある。
 思うに昔の駅は暗かった。明かりが白熱電球だったからではない。明かりそのものが少なかったからである。
 日が落ちてから降り立つ駅の明かりはところどころに立つ架線柱や明かり用柱に付けられた細い蛍光灯だけ。駅名表にも小さな蛍光灯が付けられていたがそれは駅名を浮かび上がらせるのが精いっぱいで、ザクザクと鳴らす足元に敷き詰められた砂利や冷たいコンクリートのホームを照らす明かりの多くは到着した列車の車内から漏れてくる物だけであった。
 幸いと言うか残念な事にと言うか、この様な状態になる駅に降り立つのはその路線の終点が主だったので列車が長い事停まっていてくれて歩くのに難義を感じる事は無かったが、これが途中駅で降りてすぐに列車が赤い光を引っ張って去っていってしまったらさぞかし暗かったに違いない。
 そんなホームから改札を通って入った待合室はとても明るかった。燦々と蛍光灯が灯っている。そして歩を進めた先の駅前広場は暗い。暗いのが当然と思っていてた。だからその頭上に白熱電球が灯っていても気づかない。
 逆に昼間。
 陽光燦々たるホームから入った駅舎内は暗い。駅前広場から入っても然り。照明が消されていたからである。なおさら白熱電球の存在には気付かない。
 地方駅では明るくなれば照明を消す。暗くなれば駅員がスイッチを入れる。無人駅でも遠隔操作で明かりが点けられたり消されたり、所によっては最終列車の車掌が各駅の電灯を消したりする事もあった。
 いづれにせよ、エコとか温暖化なんて叫ばれる以前の話であるが、こまめにスイッチを切るなんて当たり前の事であった。(省エネルックなんてのはあったけど)。天候が悪く昼間でも点灯が必要な時でも長時間列車が来ない時は明かりが消されていた。
 ところが現在はどうであろう。
 無人駅では遠隔操作等のスイッチ入れ切りの手間を省く為か、周囲の明るさを検知するセンサーにより照明を点消するものが増えた。しかし、これは暗ければそれこそ昼間は全く列車が来ないような駅でも明かりは点けっぱなしになる。
 ホームが昔に比べて明るくなった。屋根が付いたからである。
 昔の駅の多くはホーム屋根はホーム屋根ではなく、駅舎下屋であって改札付近にしかなかった。だからホーム上の明かりはところどころにポツポツであった。しかし屋根があればその下にずらっと蛍光灯をぶら下げる事が簡易にできる。
 ホームが明るくなるとそれまでのままであった駅舎内が暗く感じられる。
 駅舎内の明かりを増やそう。
 うーん、ずいぶん明るくなったけどホームの端やあの隅がまだ暗いな。そこも明るくしちゃえ。
 ありゃりゃ、発車列車の案内やホームの表示が目立たなくなっちゃった。よし!、板やホーローの表示板はやめて蛍光灯を中に仕込んだ物にしよう。
 おーい、今度は表示ばかり明るいぞ。もういくら明かりを増やしても駅そのものが古くて暗い感じだから限界だー。
 よーし、これでどーだ!!。駅ビル、ドーン、でメタリックな壁。ほーら、キラキラだー。
 でもすっぽり建物の中だから夜昼関係なく照明点けっぱなし。電気代が~。
 フフフ。そこでこれ。エコ薄型電気掲示器。
 (この話はフィクションです。実在の鉄道会社、駅とは一切関係ありません。……フフフ)
 冗談はさておき、かつて上野駅13番線は暗ーい暗ーいホームであった。写真を撮るのに昼間でもストロボを焚かなければならないほど。
 それが今は明るい。カメラの性能が上がった事もあいまって、ストロボを必要としなくなった。
 同様に東京地下ホームも暗かった。総武線ホームである。
 あのホームは暗いながらも、雨天時や極寒期に一時避難しながら特急の写真を撮るのに適していた。出来上がった写真はちょっとおどろおどろしいものではあったが。
 それに対して、地上にありながら昼でも煌煌と明るいのが新幹線ホームである。特に東北、上越新幹線ホーム。
 東京駅に限った事ではなく、新幹線ホームは隅々まで明るい。いや、ホームだけでなく、改札から新幹線へと続く通路までみな明るい。在来線のそれと比べると雲泥の差である。
 ローカルな例で申し訳ないが、東北本線小山駅。
 改札を入って左に折れちょっと進んで新幹線改札口へ。
 明るい明るい。
 ところがその手前で更に左へ曲がって新幹線高架下の両毛線ホーム。
 どよーん。
 昨今の新幹線車両には間接照明を採用していて、ちょっと薄暗い感じがする物がある。そんな列車からホームに降り立つと目がチカチカするほど明るい。
 あれっ、でもその感じとあの車内の雰囲気は白熱電球の車内灯列車に似ているなー。だったらいっその事、新幹線車内に裸電球をぶら下げて……。


 最近の東海道新幹線の時刻表を見て驚いた。
 登場したての「のぞみ」は名古屋にも停まらず日に数本走る超超特急だったのに今ではあちこちに停まってやたらと走っている。
 当初に比べて安くはなったものの、高い料金を払わなければならない列車が増えてそれまであった列車が無くなっていく。これはかつて在来線で急行が次々に特急に格上げされて消滅していき、その分やたらと停まる特急が増えただけの姑息値上げと変わらないのではないかな。
 今では狙って行かないと乗れない「ひかり」。このまま絶滅してしまうのか……。 


--第43号(平成22年5月22日)--

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2012/2/7(火) 午後 6:34  NEKOTETU