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ж 33 ж つりかけ、釣掛、吊掛?
つりかけ式
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昨年末、東武鉄道にからくも残っていたつりかけ式の電車が引退した。これをもって比較的高速で走るつりかけ式の電車は絶滅した。つりかけとの決別の気持ちで乗りに行った電車は昔を思い出させるいい音を奏でてくれた。
つりかけ式とは電車の駆動方式の名で、大別するとこのつりかけ式とカルダン式の2つがある。
つりかけ式は、釣掛、吊掛、とも書き表されてどれが正しいのかよく解らないが、車軸にモーターが付けられているもので歴史は古い。構造がシンプルで良いが、いかんせん直接車輪の振動を受けてしまうため精密部品であるモーターにとっては過酷な労働条件となり、時速100kmぐらいが限界とされた。
一方、カルダン式は台車枠にモーターを取り付けたもので、これにより車輪からの振動はばねによって緩和されより高速で走れる列車が登場した訳ではあるが、そのままではモーターと車軸が別の動きをするため、車軸側の歯車(大歯車)とモーター側の歯車(小歯車)の噛み合わせがうまくいかなくなってしまう。そこでモーターと歯車の間に緩衝器を設ける必要があった。その緩衝器には、中空軸とたわみ継ぎ手を用いたものと歯車式軸継ぎ手を用いた2つの方式がある。
でも、乗客にとってはそんな事どうでも良いことで、つりかけ式であろうがカルダン式であろうが、速くて快適な電車であればそれで良いのである。もちろん新幹線や在来線でも時速130kmも出せるような列車が登場したのはカルダン式が開発されたからに他ならないが大した意味はない。しかし、人々の心の奥底にはこのつりかけ式が染み付いているのは間違いないようである。
つりかけ式の最大の特徴はその音にある。走り出す時に「グゥオ~ン」と力強い音がする。惰行状態(モーターへの通電を止めて惰勢で走る)になるとその音がぱたりと止む。速度が下がってきて再加速する時や上り坂にさしかかってまた力行(通電してモーターを回して走る)するとまた音がする。メリハリがある。ところが現在の電車にはそれが無い。電子音とともに走り出してモーターの音が高鳴っていくが惰行状態になっても音は止まない。メリハリが無い。やる時にはがむしゃらにやるがその一方でホッと息を抜く時がある。そんな働き具合が人々の心に何かを訴えているのではなかろうか。
2007年。いよいよ団塊の世代の引退が始まる。いまでこそ定年を間近に控えて安穏としている人も多いであろうが、かつてはがむしゃらに働いていた人たちである。そしてそのがむしゃら時代にこの人たちを運んでいたのがつりかけ式電車である。日本の高度経済発展と共に歩んできたのがつりかけ電車である。かつて苦労を共にした音。企業戦士として職場へ向かう時の音。一日の仕事を終えて我が家へ帰るときの音。これが心の奥底に残らないわけは無い。
昨年は昭和30年代がブームであった。この昭和30年代においてはつりかけ式電車の音をはずす事はできない。まさに絶頂期だったからである。よって、実際には乗ったことが無い若い人たちでもメディアでこの音を聞いた人は多いであろう。その時代の話なのでこの音が使われるのは当然である。
ところが、まれに子供向けアニメ番組などでもぴかぴかの電車がつりかけ音ともに発車して行くというシーンがある。もちろん間違いである。でもこの番組を制作した人は間違えたのであろうか。いや、そうではないであろう。
その人たちは恐らくつりかけ式の電車には乗ったことが無い世代であろうと思われる。よって普通に考えれば数ある効果音の中からつりかけ音を選ぶはずは無いのである。ところがそのプロがわざわざつりかけ音を使っている。つまりプロがもっとも電車に合う音と認めているのがつりかけ音なのである。
では、その番組を見た子供たちにはどのような影響が現れるであろうか。
テレビなどの影響は特に小さい子供にとってとても大きい。「三つ子の魂百まで」のことわざにもあるように、恐らく心の片隅にいつまでも引っかかっているはずである。そして大きくなったその子達がまた後世にそれを伝える。つりかけ音は永遠に不滅となる。
さて私の場合。
私の心の片隅にも、いや、心の奥底につりかけ音はドカンと居座っている。今年45歳。通勤通学につりかけ電車を使った事は無い。それでもドカンと居る。
私が物心づいた昭和40年代、身近にある電車のほとんどはつりかけ電車であった。
最寄駅は国鉄南武線武蔵溝ノ口、東急電鉄溝の口。南武線には茶色い電車が、東急には緑色の電車がつりかけ音を響かせて走っていた。もっとも、走っていたのはそればかりではなく、南武線には黄色い電車が、東急には緑色でも丸っこいのや銀色の電車が走っていた。
南武線の黄色い電車は101系、東急の丸緑は5000系という電車であまり音は立てなかった。しかし、東急の7200系というステンレス銀色電車は「ヒュウーン」と都会的な音を立てた。
子供たちの間でこの音は大問題であった。電車ごっこの時である。
私達のやっていた電車ごっこは通常のイメージにあるように紐で輪を作り運転主役と車掌役と乗客役というのではなく、自転車でそれぞれが電車になって電信柱などを駅に見立てて適当に走り回る、という一風変わったものだった。
始まりは皆「グゥオ~ン」と口真似。そのうちに「おれ、ステンレスカー」と叫んで「ヒュウーン」とやりだすやつが出る。すると「おれも」、「おれも」と「ヒュウーン」ばかりになる。こうなってくると面白くない。そこで「おまえは茶色いやつな!」などと役割が決められる。子供たちはやはりかっこいいステンレスカーが好きだったので茶色の役になった子からは「えーっ!!」と不満が出る。こうして子供たちの心の片隅に「グゥオ~ン」が残る。
私も実はステンレスカーが好きだった。「グゥオ~ン」電車は色が野暮ったいし、床が木だし、もさもさ走るし。
だが、もさもさ走っていたのは車両のせいではなく線区のせい。南武線や田園都市線(当時は大井町発)はあまり速度を出さないのでそう感じたのであろう。ある時、田園都市線でいつもとは逆に大井町方面ではなく長津田へ向かった。やってきたのは緑の「グゥオ~ン」電車。ちょっとがっかりだったが、ふとある事に気づいた。「音が違う」。
田園都市線は溝の口を境にして東京寄りの路面電車風ちょこちょこ走りと、長津田寄りの郊外高速鉄道にくっきりと性格が分かれる。特にたまプラーザ~江田では(まだあざみの駅は無かった)かなりの走りっぷりとなる。そこで私はつりかけ電車の本当の音を聞いた。力強くてメリハリのある音を。帰りはステンレスカーだった。低速ではあんなにかっこ良く聞こえていたのに、その区間ではただうるさいだけの音をずっと響かせ続けた。
この時から私は道を誤った。心の片隅にちょこっとあるべきものが大きくなった。
興味の対象となると今までさほど気に留めていなかったものが大いに気になるようになる。
国鉄両毛線。両親の実家がこの沿線にありたまに利用する。それまではただ普通に利用しているだけであった。
小山で東北本線のオレンジと緑のお気に入り115系電車から乗り換えるとそれがクリームとブルーの70系というつりかけ電車。停まっていても「ブワーン」と騒がしい115系電車に比べるととても静かな電車でかすかに「ミィーン」と音がするだけ。
「ガラガラガラ」と古い引き戸の様な音をたてて戸が閉まると「ゴン、グゥオー」と発車。「グゥオ~ン」まではいかない。「グゥオー」の低速で引っ張る。ポイントを渡って線路が落ち着く。すると「ォォオオオオオオオオ」と音が高鳴り加速していく。小山タワーの下あたりの切通しでノッチオフ。モーターの音は「クォックオッ」となり、「ダダンダダン」とジョイントを刻む音だけが大きく響き渡ると思川橋梁の上へと飛び出す。ぱっと視界が開けて田んぼの中を快走するがすぐに「ヴゴーーーー」とブレーキ。その音が止むと大きくカーブを切って再加速。「ォォオオオオオオオオ」。最高潮でまたノッチオフ。「クォックオッ」「ダダンダダン」。やがて思川駅。まず強めのブレーキ。「ヴガーーーー」。ほかの音は聞こえない。ぱっとブレーキ音が止む。ジョイント音は「タタン・タタン」になってポイントを渡りまたブレーキ「クコココココココキー、クン」一切の音が止み、ブレーキで削り出された鉄粉がきらきらと舞っている。つりかけ電車の真髄を聞いた。
ある日、両毛線の電車が新型に代わったというニュースを聞いた。しばらく後に訪れるともう70系電車の姿は無かった。
時は流れ自由に旅ができるようになった頃にはもうつりかけ電車は一部ローカル線でもさもさと走るだけになっていて、訪れるたびに物足りなさを感じていたが、それもすぐに姿を消した。
以来20数年、つりかけ電車とは無縁の生活を送っていた。東武鉄道につりかけ電車が走っているのは知っていたがその音が軽いものであることも知っていたのであえて出かけることは無かった。しかし、その最後の牙城が崩れるとなると心の奥底のものがパンパンに膨らんでしまい押さえる事はできず、仕舞い込むはずだったのにますます大きくなってしまった。
--第33号(平成19年6月2日)--
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