<長崎新幹線ルート                                  おまけ Vol 19>

ж 30 ж ミニの功罪

 投稿日時 2010/6/20(日) 午前 7:21  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 

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北海道新幹線ルート
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 今、東京から札幌までの所要時間は約12時間である。
 もちろん鉄道を使っての話で、飛行機であれば1時間30分しかかからないが、セオリー通りその話は割愛させていただく。仮に朝6時30分に「よーいドン」で東京駅をスタートしたら、いくら飛行機が乗り換えや搭乗手続きに手間がかかったとしても仙台あたりで追い越されてしまって、「やはり飛行機は便利だ」で話が終わってしまうからである。
 で、今でこそ12時間で行けてしまう札幌ではあるが、私がはじめて渡道した昭和60年2月の頃には、新幹線が上野~大宮開業直前の暫定営業およびもちろん青森~函館は連絡船で、その所要時間は約16時間であった。
 中途半端な新幹線ではあったがその力は偉大で、それ以前より約2時間所要時間は短くなっている。名門特急「はつかり」は上野~青森で9時間を要していた。
 しかし、私は函館まででも上野から18時間30分かかったうえ、その後寄り道をしていたので、札幌についたのは上野を出た翌々日の夜。実に58時間かかった。これだけ時間をかけると、「はるばるやって来た」「ついに着いた」という感慨はひとしおであった。
 さてこのままでは前回と同じになってしまうので、今回は東京~札幌の将来を考えて見よう。
 現在八戸までの新幹線が札幌を目指している。津軽海峡部分はずいぶん前に完成しているし、函館までの区間も着々と工事中で函館~札幌のルートも決定した。
 これらの全てが開業すると東京~札幌が4時間で結ばれるという。驚くべき所要時間である。
 この時間であれば十分飛行機に対抗できる。いくら空港が便利になったからと言ってもその乗換えには手間がかかり、モノレールの座席から飛行機の座席まで、飛行機の座席から千歳線列車の座席まではかなりのものがある。それに比べて新幹線であれば東京駅で席に着いてからそのまま4時間後には札幌。
 蛇足までに言ってしまえば、東京駅で札幌の友人を見送ってから栃木県の辺境まで帰る。「ありゃ、快速が行ったばかりだ」、下館で「45分も待つんかい!!」などとやってヘロヘロになって益子に着く頃には友人は札幌に着いてしまっている。で、無事帰着のTEL。「今日は遠くから大変だったね」
どちらが発する言葉となるのやら。
 う~ん、これは素晴らしい。素晴らし過ぎるぞ。
 と、もろ手を挙げて言いたいところではあるが、喜ぶ人の影には当然泣く人もいる。
 私はどちらかと言うと「泣く人」の方であろう。やはり憧れの北の大地にはそれなりの手間隙をかけて訪れたいところであるが、それがパッと行けてしまうのでは少々趣に欠けるものがあるからである。
 しかし、私の個人的感傷的な理由とは違って死活問題で泣く人達がいるであろう事は想像に難くない。
 そもそも新幹線とは在来線の救済路線であった。
 もっとも、この本来の意味で作られた新幹線は東海道新幹線だけである、と言っても過言ではない。
 戦後経済の復興に伴い東海道本線は旅客貨物共にその需要が増大してパンク寸前となっていた。そのままでは経済発展を妨げる渋滞のボトルネックとなる事は目に見えていた。
 殺人ラッシュと言われた朝の通勤時間帯。一本でも通勤電車を走らせたいところへ大阪へ向かう長距離列車を走らせなければならない。更に深夜だけではまかないきれない貨物列車も割り込ませなければならない。もういっぱいいっぱいでどうにもならない。
 という事で長距離旅客と貨物の一部を別の線に振り分け東海道本線を救済すべく作られたのが東海道新幹線なのである。
 東海道新幹線は大成功であった。貨物輸送計画は先送りされ未だ実現されていないが(国鉄コンテナの長手方向のサイズは新幹線貨物輸送時横向きに積める長さになっている)、通勤時間にゆとりが出来て増発可能になったし、大阪へも半分の時間で行ける様になった。
 これに気を良くして全国整備新幹線計画が持ちあがった。まず新幹線が九州へと伸ばされ、次に目をつけられたのが東北、高崎線であった。 


長崎新幹線ルート
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 しかし、この頃から新幹線建設の主題が少々おかしくなってきた。
 確かに現宇都宮線や高崎線はその頃パンク寸前になっていて特急列車のスピードダウンによる通勤電車増発という苦肉の策も講じられていた。(特急列車をのろのろ運転にして通勤列車と同じ所要時間にして列車本数を増やそうというもの。箱の中にいろいろな大きさの物を詰めるより同じ大きさの物を詰めたほうがきっちりと多く入るという理屈)
 しかし、東北上越新幹線で前面に押し出されていたのはこれらの救済ではなく速達性であった。よって、東北上越新幹線はもっとも救済を必要とする上野~大宮を後回しにしての暫定開業となった。更に工事の遅れで東北新幹線のみ開業していたわずかな期間は在来線特急も平行し、本数は時刻表の1ページで上下線が収まりかつ半数が臨時列車というお粗末なものであった。
 本来であれば上野~宇都宮、高崎に力を注いでまずそこを開業。その後徐々に伸ばしていく。が正当な順序であったのではなかろうか。
 しかし、そうはならなかった。まず開業したのは救済が急務の区間ではなかったのである。多くの乗客の救済にはならなかったのだ。が、見えないところ、駅のポスターには絶対に書かれないところに救済はあった。
 それが何であったかは明言はしない。たぶんそうであろうと私が思っているだけで確証はないからである。という事で次の事から察して欲しい。
 新幹線建設には大金が必要となる。その金は何のかんの言っても結局は国の金でつまり税金。それを湯水のごとく「よっしゃ、よっしゃ」と使ったのである。
 さて、さしもの国鉄も台所事情が苦しくなってくるとあまり大金が使えなくなってくる。そこで作られたのが山形、秋田のミニ新幹線である。
 この2線が作れらている頃は安く済む上乗り換えの手間もなくなると、全国的にミニでという傾向であった。しかし、いざ開業してみると所要時間は短くなっていなかった。山形新幹線で言えば、福島~新庄148.6Kmを2時間かけて走っているが、かつての奥羽本線特急「つばさ」でも2時間20分で走っていたのである。さほど変わりは無い。もしこの区間がフル規格で作られていたならば1時間である。新幹線とは名乗ってはいても実際は奥羽本線であり、秋田新幹線は田沢湖線であってしかも新幹線でありながら地方交通線、つまりローカル線扱で、在来線をチョット手直ししたに過ぎないものである。
 これは乗客にとっては美味しい物ではなかったがそれ以上に地元建設業者にとっては美味しくなかった。
 そこで世間の流れは一気にミニからフルへと移っていき、一時ミニで計画されていた長野新幹線軽井沢~長野、東北新幹線盛岡~八戸はフル規格で建設された。
 これでみんなバン万歳と思われていたところに振って沸いたのが平行在来線のJRからの切り離しであった。
 儲かるところだけをJRにもって行かれ地元自治体は青色吐息である。それでも鉄路が残っていればまだましな方で、今後新幹線が地方へ延びるに連れその切り離された部分の鉄道存続は難しくなるものと思われる。
 そこで気になるのが北海道新幹線のルートである。
 北海道新幹線は函館から長万部を通り、その後は鉄道需要が多いと思われる室蘭線沿いではなく、ローカル線と没落してしまった函館本線沿いを進む。
 なぜこのルートになったのか。
 北海道新幹線はその目的が、道内の移動ではなく札幌と東京の直結にある、とされている。よって距離的に短い函館本線ルートとなったらしい。しかし、実際のところはJR北海道が御荷物の函館本線を切り離したい為にこのルートを採ったのではないだろうかと勘ぐってしまうのは私だけであろうか。JRから切り離されてはおそらく長万部~小樽間の鉄道存続は不可能であろう。
 奥羽本線と田沢湖線はミニ新幹線化によって生き延びる事が出来た。しかし、大幹線であった信越本線や東北本線、鹿児島本線ですらJRから切り離され、自治体と利用客に余計な負担をかけている。北斗星の乗客は寝てる間に、つまり知らないうちにIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の運賃特急料金を取られている。運賃はまだしも、特急料金はJR区間のみとして、それぞれの第3セクター線にはJRが特急料金を負担するのが筋ではないのか。似たような事がずいぶん昔に伊勢線が第3セクター化された時に行われているのでそれ以来の慣習という事でなんとも思わずにそうなっているのであろうか。 さて 今もうひとつ気になっているのが長崎新幹線である。
 ここも切り離される長崎本線を引き受けなければならない地元自治体と大規模建設工事の欲しい県との間でその建設の是非をめぐるどろどろとした問題となっている。
 そこでご提案。長崎新幹線のルートを全面的に変更して現在ある駅全てを通る様にしてはどうだろうか。
 今の駅に停まる各駅停車を走らせながら新幹線が高速で通過できるようなカーブで駅を結んでしまう、つまり長崎本線全面造り直しフル規格化案である。これならば長崎本線はJRとして存続でき、今のルート以上の大規模工事となり県も満足であろう。JR貨物には大村線を使ってもらい、新幹線駅がごわさんになってしまう嬉野温泉には温泉そのものを売りにして頑張ってもらおう。新幹線駅がなければ客が来ないような温泉には魅力がないのだから。  

--第30号(平成18年10月1日)--

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 コメント(4)

 

 

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新幹線を作って東北本線から特急を廃止。
通勤用の輸送力を増強したという話はありましたね。

その後は土建屋を増強(増長?)させるためだけに(笑止)  
2010/6/21(月) 午後 8:56  LUN
 
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LUNさん
待たずに乗れる東北本線なんてあの頃は想像もできませんでした。
まるでどこかの私鉄みたい。
あっ、私鉄か。
でもあの車両だけはどけんかせねばいかんですね。  
2010/6/22(火) 午後 6:29  NEKOTETU
 
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コンテナの寸法の件、初めてしりました。…ナルホドです。
北陸新幹線も大阪~金沢を先に作った方が理にかなう気がしますね。  
2010/6/23(水) 午後 8:27  哲ちゃん+Mc169
 
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哲ちゃん+Mc169さん
そうですね。
確かにそちらの方がキュウキュウしていますね。
完成の暁には東京発金沢行きに「白山」、大阪行きに「白鳥」が復活するのでしょうか。  
2010/6/26(土) 午後 6:48  NEKOTETU