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 投稿日時2009/11/22(日) 午前 7:09  書庫鉄道の間  カテゴリー鉄道、列車

ナイス0




 その年-1982年-の夏旅は狙いを西日本に定め、早くから時刻表をいじりまわして、東海道本線をちょこちょこ寄り道しながらのんびりと下って行くプランを立てた。
 出発は8月5日。最寄駅を5時前の始発で出掛ける。
 ところが、出発日を目前にした8月2日、愛知県に上陸した台風10号のもたらした大雨により東海道本線は下り富士川橋梁が流失、不通となってしまった。
 さて困った。
 長い時間かけて練り上げてきた旅行プランである。いまさら変更はしたくない。かと言ってちょっとした災害ならいざ知らず、橋梁流失では5日までに復旧する事は絶望的である。
 4日の夕方には生き残った上り線での単線運転が再開されたが、この区間の運転状況はわからず、時刻表はもうあてにはならない。
 そこで仕方なく新横浜~静岡間を新幹線に切り替えた。
 東海道本線でのんびりするはずの2時間を余計な金を払った上に家でのんびりする事になってしまった訳だが、そのおかげで以後の旅行はプラン通りにこなす事が出来たのであった。
 自動車の世界においては高速道路を使う時に「上で行くか」という使いまわしをする事があるが、私にとっては新幹線がこれにあたる。
 バブリーな頃には多摩川を渡るだけなのに高速道路を使うなどという事も有ったが、そんな頃でも鉄道旅行にあっては計画を立てる時にまず新幹線のページを開いて、という事は無かった。以前は・・・。
 私が最も盛んに鉄道旅行を行っていたのは今から20年も昔の学生時代で、暇はいくらでもあった。(本当は勉学で忙しいはずだけど)だから新幹線を使う必要性は無かったし眼中にも無かった。
 とは言っても丸っきり新幹線を利用しなかった訳ではない。
 新幹線の利用には2つのパターンがあった。
 まずは初めにも書いた様に突発的な出来事や計画を立てていてどうしてもうまくいかない時などの場合である。
 計画段階では新幹線の存在を忘れているので、在来線で計画を立てていてあれこれ悩んでもうまくいかず、ふと新幹線の存在を思い出してページを開くとすんなり解決してしまう事がある。
 もっともそれを使えば事は簡単なのだがまんまと国鉄の術中にはまってしまったみたいで面白くないので予定をのばすなどして極力新幹線は使わなかった。
 もう1つのパターンは旅行中の体調や気分によるものである。
 最も残念な使い方をしたのは旧知の友を訪ねた時であった。
 その友の住まいはとある学生寮であった。私が訪ねると寮をあげての歓迎をしてくれてついつい酒量をオーバーし、翌日気づいた時には乗る予定だった列車はもう遥かかなた。しかもそれに気づいても起き上がる気力も無い程で、結局昼過ぎまで休ませてもらって、最寄駅まで送ってもらった。
 せっかく歓迎してくれたのに私の不注意で何とも情けない結果になってしまい、その後2日かけて帰着する予定であったヘロヘロの体を新幹線はわずか1時間程で運んでくれたのであった。
 この時は最悪の気分で利用したのであったが、逆に気分が良すぎて利用した事もあった。
 当時はワイド周遊券というものが有り、それを利用して北海道を20日程も旅行した帰りである。
 北の大地を十二分に満喫した帰り道。東北本線をトコトコと帰って来る気になれず、新幹線でワーッと一気に帰ってきた。おかげで上野に着いた時もまだ北海道の余韻を残していられたのであった。
 この様に新幹線は私にとって丸っきり別次元の乗り物であったのだが、最近になってその様子が少し変わってきた。新幹線を基本に計画を立てる事が増えてきたのである。
 その原因は一緒に旅行する者、いや、しなければならない者の要望によるものである。
 その方(怒られそうなので呼び方を変えます)は始めのうちこそは東北耐久鈍行旅行などについて来たもののだんだんと不平をおっしゃる様になり、また、その後発生した者も長時間の移動はかわいそうな存在であった。
 よって、鉄道旅行の際はより移動時間の短い方法を模索する様になり、結果、新幹線の利用が増えて来たのである。
 また、その特徴としては短距離の利用が多いと言う事もあげられる。
 以前であればその利用は東京~広島、上野~新潟、盛岡~宇都宮などと長距離であったものが、東京~新横浜、小山~東京、大宮~高崎、等と短区間の利用が目立つ。
 乳幼児にとっての鉄道利用は酷なものである。まだ外の風景に興味を持続させる事は出来ないし、さらに混雑がひどく座れもせず外も見えないでは悲惨以外の何物でもない。
 理由は解らないがドアの開閉する「シューッ」という音に怯えて泣いていた頃もある。その時は生憎各駅停車の列車で駅に着く度に泣き声をあげる。なんとかあやして泣き止む頃にはまた駅に着く。そしてまた泣く。
 さて困った。
 そんな時の救世主が新幹線であった。
 たとえ立ちっぱなしで外が見えずとも1時間以内であれば少々のお菓子とこれから向かう目的地の話で
なんとかなる。まさに子供だましである。
 これに味をしめてしまうとちょっとした事でも新幹線を使うようになる。
 京浜東北線に乗っていた。目的地は横浜である。ところが事故でダイヤは乱れており、東京駅で停まったまま10分程が過ぎた。ぼつぼつ子供が飽きてきた。「じゃ、新幹線で行こうか。」かくして、17分間新幹線を使う。これもちょっと困った事である。
 しかし、新幹線の利用頻度が増えて改めて時刻表を眺めてみると、その異常な早さに驚かされる事がある。
 例えば上野~長野。所用時間は特急でも3時間。鈍行であれば6時間かかると思っている。それがわずか1時間半。まだ昔の感覚が抜けていない。
 宇都宮から小山まで最終の「なすの」を利用した事がある。普通であれば当然在来線を使う区間ではあるが用事が延びてしまい就学前の子供を連れているには非常識な時間になってしまったからである。
 罪滅ぼしではないが片付けの始まった店で買ったケーキを手に乗客もまばらな列車に乗り込んだ。
 小さなケーキだったのですぐ食べ終わってしまうだろうからと中間の石橋を過ぎた頃に食べさせ様と思っていた。石橋~小山間の所用時間ぐらいが子供にケーキを食べさせて片付けをし、下車支度に程よいであろうと思った。
 ところがあたりは真っ暗で位置がつかめない。そこでそろそろ石橋であろうという所で食べてよしと子供に言った。
 我慢させられていた子供が喜んでケーキを口に運びかけたその時「間もなく小山です」と案内が流れ列車が減速し始めた。ここまで来て「後で食べなさい」とは言えないので「早く食べなさい」とせかし、まだ口をもぐもぐさせている子供の手を引いて小山駅のホームに降り立った。
 宇都宮~小山が10分しかかからないとは思ってもいなかったのである。

 ところで先日東海道新幹線に品川駅が開業した。当初私は品川駅とは満杯になってしまった東京駅の救済駅だと思っていたがどうも違う様である。
 東京駅の構造上これ以上増発できないので品川折り返し列車により増発を図るものと思っていたのだがそうではなく、羽田からの空の客を新幹線に呼びこむ為のものであったらしい。
 いずれにせよ新幹線による増収を図ったものであり、JRも困った時は上頼みの様である。

--第17号(平成15年12月6日)--

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 コメント(6)

アイコン0 新幹線品川駅は事前の解説?とは全く違いましたよね。
使わないからどうでもいいけど(笑)
品川につくるなら、武蔵小杉に新幹線駅を作って欲しかったですぅ  
2009/11/22(日) 午後 6:02  LUN

アイコン0平塚辺りにも駅を作って通勤新幹線という計画もあったような気がしますが。
現JRなら「儲かりますよ」と誘惑すればいくらでも駅を作ってくれそうな(笑)。 
2009/11/23(月) 午前 7:45  NEKOTETU


 アイコン0最近は子供云々よりも自分の方がメゲて新幹線へと逃避する方が多いかもしれません。ここで上を使ったら負けかな?と思いつつも休み明けの仕事のことなどを考えてしまうとやっぱりあの速さの誘惑には勝てません(笑)  
2009/11/27(金) 午前 1:08 [ ぶりてつ ] 

アイコン0そう、使ったら負けです。
と言いつつ私も吸い寄せられる様に……(笑)  
2009/11/28(土) 午後 6:24  NEKOTETU

 アイコン0高崎~熊谷だと「一駅料金」で乗れるので、たまに子供のご機嫌取りに利用します。
往復で在来線と変化をつけて選べ、車両もある程度バラエティがあるのでうってつけです。

篭原の電車解結シーン、秩父鉄道見学とあわせ、お気軽黄金ルートです。  
2009/12/7(月) 午後 11:53  哲ちゃん+Mc169

 アイコン0 お子様の教育に新幹線とはすごいです(笑)。将来が楽しみですね。  
2009/12/11(金) 午後 6:00  NEKOTETU