<ж18 ж 「おしおきだべー」 ж15ж 薪窯の楽しみ(外道編)>
ж 15 ж べんとー
2009/10/18(日) 午前 11:01
鉄道の間
鉄道、列車
はじめて食べた駅弁は「かに寿司」だった。
おそらく山陰の鳥取か米子のものではなかったかと思うが、おそらくというのは、駅で買ったのではなく当時はまだ珍しかったデパートの駅弁大会で父が買ってきたからである。
おっと、前回と同じ出だしになってしまったが、それ以来駅弁に旅の象徴を見出す様になったのは確かである。
一人旅をはじめた頃は、とにかく鉄道で出掛けたら車中で駅弁を食べねばその旅の価値は半減するものであり、また駅弁を食して初めて鉄道旅行に出ているのだと実感するものだと思っていた。
実際、上野や東京などから列車に乗り込む際には必ず駅弁を購入していたし、近所で半日プチ鉄道旅行などというで時であっても駅弁を買って短い乗車時間の間や、それがかなわなければ、途中で立ち寄った公園などで、食べていたのであった。
しかし、だんだんと長期の旅行に出るようになるとそれが変わってきた。
いや、変わらざるをえなくなってきたとも言えよう。
長期の旅行と言ってもそれは、世間様の一般常識的な、夕方になれば宿に入り、温泉にでも浸かってのんびりして翌日元気に出発などという保養気分転換的旅行ではなく、夜行列車連泊ぎりぎり的体力勝負旅行というものであった。
つまり、若さにまかせて、少しでも多くの鉄道路線に乗り、少しでも多くの場所へ行ってみようと、昼夜を問わず移動に移動を重ねていたのだ。
と言うと、少しは聞こえがいいかも知れないが、つまるところ、若い=貧乏の公式が当てはまっていて、旅行予算内に宿代を組みこめなかったのである。
かような次第であったから食事代もぎりぎりまで切り詰められていた。
となると当然比較的高価な駅弁を三食食べるなんて贅沢は不可能となり、出発前にぜひとも食べたいという物を数点悩みに悩んだ末にそれ以外は購入しない様にしていた。
それでも、売店に並べられた弁当の中に珍しい物を見つけてしまったりするとつい手が出て、予定外の出費となり、その後の食費にしわ寄せが行く。
当時のメモ帳を見ると、朝食-竹輪、昼食-無し、夕食-うどん、などと書かれていてその悲惨さが懐かしく思い出されるのであるが、この様な食事内容で時には何kmも歩いたりしていたのだから若いというのは大したものである。
ちなみに慣れというのは恐ろしいもので、社会人になって少し余裕が出てきた頃の旅行でもこの食事パターンが抜けず、女房と旅行に出かけると、「ご飯を食べさせてくれない。」「お腹空いてるのにいっぱい歩かされる。」と散々文句を言われた。
この食事パターンであるが、これは一回の旅行の中でだいぶ波があった。
初期の頃には先にも書いた様に駅弁を買い込んで列車に乗り込んだものが、あらかじめ食事をしっかりと済ませ、腹が減れば手弁当を食べるなどと、旅行の初日に駅弁を買う事はまず無かった。
あらかじめの食事は、食いだめよろしく、とにかくボリュームのあるものを食べた。それは家で摂る事が多かったが、時間的に難しい時は列車に乗りこむ前に食いだめをした。
その定番に品川駅の「品川丼」というものがあった。
これはうどん用の丼にご飯が盛られその上にかき揚がのっている物で、濃い目の汁がかけられていた。さらにもう1つ丼が付いて、そちらにはうどんの汁が満たされていて、入れ放題だったネギとてんかすをたっぷりと入れて食べた。
この丼の優れていた点は400円程とその値段もさる事ながらボリュームとかき揚及びてんかすの油パワーがものをいった。
とにかく腹持ちがよいのだ。というより「胃がもたれる。」と言った方が適切な表現かもしれない。
これを食べてから夜行列車に乗れば、深夜の静岡で駅弁を求めて右往左往する必要もなく、それどころか朝食にしようかと思っていた名古屋のきしめんも何処かへ飛んでしまい、気がつけばもうお昼、という具合に経費削減に多いに寄与してくれたものである。
もっともこれは油パワーだけでなく、夜行列車と言う条件が重なった為かもしれない。
夜行列車を利用すると-もちろん寝台ではなく座席である-どうしても寝不足になる。
寝不足と言っても寝られないのではなく、寝る必要がないのだ。
もちろん、翌日から北アルプスを縦走するぞ、とか、明日は午前中は現場廻りで午後は会議だ、なんて人は寝なければならない。しかし、私のように旅行の大部分を鉄道での移動に費やす者にとっては翌日の行動に差し支えるからといった危機感は無い。眠れなければ無理に寝る事は無く過ぎ去りし行く人気の無い駅や、月明かりに照らされた風景などを眺めていればよいのである。
よって、寝不足になる。そして寝不足になれば食欲もわかなくなる。食欲が無ければ駅弁を衝動買いする事も無い。売店に並べられた駅弁を見ても「いろいろあるなー。」と思うだけで購入しようとは思わない。
その先どうなるか解らないので弁当が手に入るときには非常用と言う意味も込めて買っておく、という人もいるようだが、それはお金に余裕のある人の事であって、とうてい真似できるものではなく、また、しようとも思わなかった。
それに、日本の鉄道に乗っている限り非常食を必要とする事態はまず起こらない。一週間も列車内に閉じ込められて外部との連絡が一切取れず生命の危機に瀕するという状況に陥るのは難しい。
だからその時点で不必要な駅弁は買わない。旅行の前半から中盤にかけてはちょっと必要かなという時も買わない。多少空腹でも強暴な目つきをして我慢する。
こうして食事代を1日あたりの食事予算よりかなり低めに切り詰めて行くと旅行後半で余裕が出てくる。その余裕を持ってして初めて予定外の駅弁を買う。
あらかじめ購入予定を立てていた駅弁は「○○寿司」とか「○○ステーキ弁当」などと言った特殊弁当がほとんどであるが、予定外弁当は幕の内の類である場合が多い。
それはおかずが酒のつまみになりやすいからである。
特殊弁当は具とご飯を調和させて作られているものが多い。それを具だけつまみにして先に食べてしまうと残されたご飯にはさびしいものがある。
しかし幕の内であればいろいろ詰められたおかずをつまみにして食べてしまってもご飯にごま塩でも振り掛けられていればそれで十分宴会後のおにぎりといった雰囲気で楽しめるのだ。
やはり弁当は中身が重要である。
どんな内容かとかとわくわくしながら蓋を取るのもよいが、しっかりとその時の状況に合わせて購入した方が楽しめるし失敗も無い。
列車が着く度に「べんと-、べんとー」と売り歩いていた立ち売りが姿を消してしまったのは寂しい事だが、その何たるかを知らない頃に、短い停車時間の間に値段と名前に引かれて購入した「すけろく寿司」が開けてみたら海苔巻とお稲荷さんだったのでがっかりした事がある。
立ち売りの人の場合は時間勝負なのであまりのんびりと選んでいるは気が引ける。その点売店売りはのんびりゆっくり選ぶ事が出来るし、財布との相談もしやすい。
と、結局は駅弁は値段が高い、というような話しになってしまったが、この値段はその性質上容認できる範囲の物なのであろう。
確かに昨今の駅弁は高い。千円札1枚で買えない物も多くなってきた。昔は安かったなと、古い時刻表を見れば高いものでも千円札でおつりの来るものばかりである。
更に昔は、と見てみれば五百円札でおつりが来るものばかりであった。が、物価スライドから考えてみれば今と昔で駅弁の値段はさほど変わってはいないのである。
例えば東京駅で売っている「チキン弁当」。
これは1970年では200円であった。それが1982年では600円、そして2003年には780円である。
ずいぶん値上りしたように思えるが、いずれの値段もそれぞれの時代の東京~大船の運賃とほぼ同じなのである。
そこで私は思った。
特殊弁当の様に値段的には小田原あたりまで行けるのに横浜に着くまでに食べ終わってしまうような物は高い。
幕の内の様に値段的には大船あたりまでなのに酒でも飲みながらちびちびと藤沢あたりまで持つものは安い。
やはり考え方がみみっちい。
--第15号(平成15年8月3日)--
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コメント(2)
あの『峠の釜めし』も、今や高速SAなどの“道の駅弁或いは“デパート駅弁”に(ほとんど)なってしまいました。~初めて横川駅で食べた時は500円だったような・・(温かい状態で食べると冷めたのよりずっとウマイことに最近気づきました。)
峠に挑む列車に頭を下げて礼を尽くす販売員の方々の姿、懐かしいです。(あっ、列車にではなくお客さんに向かってですね)あの頃は本当に駅弁中の駅弁でしたね。