古益子焼を作ってみた話です
民藝以前
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先週土祭の「民芸以前」を見て早速感化されて作ってみました。
貝付き。
でも荒々しさが足りないなー。貝も大きすぎた……。
もう一回作ってみよう。
あと「ナコソ」もやってみたい。
けど、う~む、難義そう。
日光焼きはそれっぽい事をやってはいるけど、いまさら日光焼きと言ってもすでに日光市に現代の日光焼きがあるから怒られちゃうなー。
コメント(2)
土祭の夜の部は大勢人が集まっていて繁盛してるようですね。
ねこてつさんはお出掛けにならないのですか?
貝付きはナイスです。
明治期の真葛焼を思わせますね。
そういえば諏訪で見てきたガレの花瓶にもリアルな貝殻がついていました。
根っこはアールヌーボーでしょうか?
勿来釉は輸出で大変もてはやされたようです。
昔は益子焼ももっと世界に開かれていたのでしょうか?
民芸なんていうちっちゃい世界の篭の鳥になってるなんて馬鹿馬鹿しいです。
2009/9/27(日) 午前 8:50 [ nanopottery.com ]
はい、夜はおとなしくしています。
民藝とは何なのか今一度考えてみる必要がありそうですね。
益子焼きの特長は良く言えば「流れに乗る」で、その時々で作るものががらっと変わってしまいますから。
2009/9/27(日) 午後 9:14