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ж 10 ж あの夏よもう一度 (1)

 投稿日時 2009/7/25(土) 午前 8:04  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 

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 まるで自らが輝いているような照り返しのまぶしい広場から駅舎の中に入ると、深い森の中のような静かさと暗闇がそこにあった。
 いや、けっして静かな訳ではない。セミの声は相変わらず突き刺さるように聞こえてくるし、暗闇もほんの一時の事。
 目がなれるにしたがって壁に貼られたポスターの女性が浮かび上がってきて微笑みかけてくる。
 ぐるりとしつらえられた木のベンチに腰を降ろすと、冷やりと気持ちがいい。
 戸も窓も開け放されて、外と同じ気温であろうはずなのに、涼しさを感じる。
 やがて、通標閉塞機の「チンチン」という音が列車の到着の近いことを知らせる頃になると、ぽつりぽつりと乗客がやって来る。
 皆、駅舎に入ると少し立ち止まり、「はー」と息を一つはいてから、窓口で切符を買い、ベンチに腰を降ろす。
 隣に座ったお年寄りが扇子を出して扇ぎ始めると生暖かい風がほほをなでた。
 やがて改札が始まり、ホームに出ると枕木の油の匂いがつんと鼻をつく。
 ガチャンと音を立ててうなだれた信号機の遥か先では陽炎の中で列車が踊っていた。

 いよいよ夏本番の季節。じりじりと焼けつく太陽に、冬の様に体を縮込めて次の季節を待つなどと言う事は無く、暑い暑いと言いながらもうんざりとした表情の隅っこに嬉しさが滲み出てしまう季節だ。
 もちろん旅行にももってこいの季節で、おおいに汗をかきながら鈍行列車で出かけよう。
 と、行きたい所では有るが、冷房車の普及でそれも昔話になってきたようだ。
 昭和の終わり頃には、まだいたる所で冷房化されていない車両が走っていた。もちろん特急や、一部旧型客車を使用したもの以外の急行は冷房化されていたし、普通列車のそれもかなり進んでいた。もっとも普通列車の場合は編成全体ではなく、冷房車と非冷房車が半分づつなどという場合が多かった。
 だから、幹線の鈍行に乗るときはその時の気分でどちらかを選ぶ事も出来たのであった。
 さて、冷房車と非冷房車が旅の印象に与える違いはなんであろうか。
 結論から言ってしまえば、それは窓が開けられるか否かの違いであり、その土地土地の空気にじかに触れながらの旅で有るかどうかなのだと思う。
 例えば、東京から中央本線を利用して安曇野あたりへ行ってみよう。
 まずは、非冷房車で窓が開いていた場合。
 東京は蒸し暑くて列車が動き出しても窓から吹き込む風はべたっとまとわりつくような感じだ。しかも排気ガスで少しいがらっぽい。しかしそれもつかの間で、多摩川を渡る頃にはだいぶ澄んだ空気になってくる。高尾を過ぎれば今度はいくらか涼しさを感じるようになり、少し外に出した腕が触れると、アチッと感じるほどだった車体の外板も小仏トンネルの中ですっかり冷えた。更に大月あたりまで来ればもう高原のさわやかな風が感じられるが笹子峠を越えて甲府盆地へ下っていくと、また暑さがぶり返してくる。甲府停車中にはじっとりと汗をかき、アイスクリームなどを買ってしまうが、発車すればすぐにまた山に登り始め、小淵沢、富士見と進めば冷たい物で冷えた体には肌寒いくらいだ。諏訪盆地でほど良い涼しさとなり、善知鳥峠をまた肌寒さを感じながら超えれば車窓に北アルプスが開け始める。そして先ほどよりは少し暑いけれど東京に比べれば明らかに違うさっぱりした空気の信濃の駅に降り立つのであった。
 という感じになるのだが、これが冷房の良く効いた特急「あずさ」などであると。
 蒸し暑い新宿駅のプラットホームから、信濃へ向かう列車に一歩足を踏み入れるとすでに高原の雰囲気がかもし出されている。高尾を過ぎれば窓外には山々や盆地の風景が流れ去り、あっという間に信濃の駅に着いた。
 車外へ出ると、紫外線がカットされ、快適な空気に慣らされた体に太陽光線がじりじりと照りつける。
 そして、「高原と言ってもやっぱり暑いわね-。やっぱりもっと高い所へ行かないとだめね。」と言うことになる。
 と、ここまで書いてきて改めて考えてみると、都会で暮らしている人にとっては、冷房のよく効いた列車から一歩降りれば熱気がぶわっと押し寄せてくる、というのを体が覚えているのだろうから、山の駅で下車した時にその感覚が無いと、「ああ、やっぱりこちらは涼しいな」と感じやすいのかも知れない。
 さて、書いている事があっちこっちになってしまったので実際にどちらの感じがするかは個人差があります、ということにして、とにかく言えることは、密閉された車内からでは途中の地形の違いによる温度変化については解らない、とだけ言っておこう。車窓をよぎる風景はまるで居間でテレビを観ているかのごとくにしか感じられず、通過しているトンネルが寒いほどに涼しいなどとは思いもしないであろう。
 トンネル内が涼しいと言えば、地下鉄のトンネルも今はそのほとんどが涼しい。
 今は、というのは、ほんの少し前までは地下鉄のトンネルはとても暑かったからだ。
 そもそも地下鉄が開業した当時は、冬暖かく、夏は涼しいと言われていた。確かに地下は地上に比べれば涼しいし、電車もたまにしか走っていなかったから本当に涼しかったのだろう。
 ところが、かつて電車というものはその速度を制御する方法が、モーターに流す電流を抵抗器で調整するというものであった。とり入れた電気を抵抗器で熱エネルギーに変換していたのである。つまり電車は電熱器を抱えて走っているようなもの。
 だから列車の本数が増えるにしたがって地下鉄のトンネル内も暑くなってしまった。
 しかし、じっとりと汗をかきつつも「地下鉄は涼しい」との思いこみのせいか、なんの対策をとられることも無く時代は進み、やがて列車に冷房がつくようになっても、その機器は大量の熱を発するためトンネル内では使用できないという事態になってしまった。
 そうなってくると、さすがに乗客も地下鉄は実は涼しくないのではないだろうかと気づき、各地下鉄会社もやっとトンネルそのものに冷房を施すようになってきた。
 更に、電車の改良も進み、抵抗器ではなく、インバータなどの熱をあまり発しない器械で速度制御を行うようになり、地下鉄線内でも車両冷房が使われるようになり、地下鉄が再び涼しいものになった。
 私が通学に使っていた路線は神奈川県に端を発し、都内に入ると地下鉄になるという線であった。もちろんその頃は地下区間では冷房が使用されず、投入された新車は冷房準備工事(後はクーラーをつければ冷房車として使えるという未完成品の様なもの)で走り始める状態であった。
 電車が都内に入り、地下鉄のトンネル直前にさしかかると冷房が切られる。それまでゴーと吹き出ていた風が止まり急に車内が静かになる。しかしそれもつかの間で、乗りなれた乗客の手により全ての窓が開けられ、熱風が車内に吹き込んで来ると、トンネルに突入して、今度は会話もままならない騒音に満たされるのであった。
 逆に東京から郊外に向かう場合は、トンネルを出るとブンという音と共に冷房が効き始めた。
 冷房スイッチを切るタイミングは乗務員の個性によるところが多く、多摩川を渡ったすぐの駅で冷房が切れてしまったり、地下区間一つ目の駅あたりまで涼しいなどという場合があった。
 逆もまた同様であった。なかなか冷房が入らず、川岸の駅に到着してもまだ涼しくならない時もあった。この駅は先端の方では完全に川の上で、その様な時にはいったん降りてホームの川風に吹かれて涼をとった。
 クーラーは起動する時に多くの電力を必要とするため編成全体で一度に動き始めるのではなく、1両ずつ順番に動き始める。川面を渡る風に吹かれていると、後ろの車両から冷房が動き始め、ブン、ブンと起動する音が近づいて来る。やがて目の前の車両もわずかな振動と共にブンと音を立てると、車内の乗客が窓を閉め、「はー」と息を一つはくのであった。

さて、夏の旅の話を書こうと思っていたのだが、冷房の話が長くなってしまったので続きはまた今度

--第10号(平成14年8月5日)--

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 コメント(2)

 アイコン0 一昔、いや二昔前は首都圏の公共交通機関においても冷房の普及率もそれ程高くありませんでしたね。電車然りバス然り。東神奈川から横浜線の103系に揺られながらの帰路、非冷房車故窓は全開でしたが小机の手間になると突然吹き込む風がひんやりしたのを覚えています。小机より先は横浜市内とは思えないほど緑豊かなところ。横浜中心部と郊外とでは気温が違うんですよね。今でも東京から帰ってくると気温の差を感じます。
窓を全開にして夏の風を感じながら乗ったローカル線、今ではなかなか味わうことができません。空調完備な上に端から窓が開かない構造の車輌も増えてきました。夏の北海道、もう一度羽幌線や名寄線辺りを窓全開で乗ってみたいですね!  

2009/8/1(土) 午後 10:06 [ ぶりてつ ] 

アイコン0ぶりてつさん、そう言われて思いだしました。
横浜線で真夏の空いた時間に窓を全開にして乗っていたら首都圏の路線にも関わらずなんだかミニ旅行をしているような気分になった事を。
今はどこへ行けばそのような体験が出来るのでしょうね。  

2009/8/3(月) 午後 6:40  NEKOTETU