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ж 2 ж 上河内鉱泉 旭旅館
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春まだ浅い北陸は福井県鯖江市の郊外の小さな鉱泉宿に泊まったのは1983年3月末。
前日、山陰から北陸入りし、翌日は金沢に用事があったので、何処かその近くの鄙びた温泉でもと思い、ガイドブックを探ったところ見つけたのが、電話番号だけで説明も何も書いていなかった、上河内鉱泉、旭旅館。
宿までの足は京福バスの上河内鉱泉前行きで、国鉄の鯖江駅前から出る。駅前のバス停で発車時刻を調べたところ、1日に何本もないバスが運よく30分程の待ち時間でやってくる。
しかし30分ぼーっとしているのもなんなので、その辺を散策することにした。
線路に沿って少し歩くと、国道417号線が国鉄と交差するところで、バス停を見つけた。
バス停の名前は本山前。幾つかの行き先の中に「鉱泉前」を見つけたので、バスを待っていた3人のお婆さんに上河内鉱泉に行くバスはこれでよいのか訪ねてみた。
それをきっかけに話をしながらバスを待つことになったのだが、なんとなく様子がおかしい。
私が上河内鉱泉に泊まると知ると「お若いのにねー」とぽつりと言って口をつぐんでしまったりする。
このあたりでは若い者が温泉に泊まるのはよほど特異なことなのだろうか、と思いつつ他愛もない話をしているうちにバスが来た。
バスは買い物がえりの客で込み合っていた。しかし、散在する集落をあちこちと寄り道して、何処をどう走っているのか解らなくなっているうちに客はどんどん降りてしまい、40分ほどかかった終点、鉱泉前で降りたのはわずかな人数だった。
バス停からほんの少し上った谷間に旭旅館はあった。あちこちにまだ雪が残っている。
一緒にバスを降りた人たちは何処かへと消えてしまい、旅館の入り口に立ったのは私一人であった。
帳場で名乗るとすぐに二階の部屋へ案内された。階段を上がったところには談話室のような広間があり話し声やテレビの音が聞こえて来る。
宿に着いたのが5時過ぎでもうすぐ食事の用意が出来るとの事。そのときには鐘を鳴らすのであちらの建物に来てください。と外を指すので窓から見ると平屋の建物がある。
この旅館は2つの建物があり、今いる2階建ての宿泊棟と、食事が用意される大広間のある平屋の棟が玄関と帳場のある廊下のような棟を介してつながっている。風呂は宿泊棟のほうにある。
案内してきた女性は一通りの説明をすると最後に「お風呂の入り方はわかりますか」と聞いた。
いくら私がこの場にそぐわない二十歳そこそこの若者だとしても風呂の入り方ぐらいわかるわい、と少しむっとしながらも冷静にわかりますと答えた。
すると案内してきた女性は、そうですか、ではごゆっくり。と去っていったが、じつはこれが失敗で、それゆえこの旅館の最大の特徴を味わいそこねてしまったのだった。
さて、間もなく食事との事なので、風呂は食事の後にしてまずはゆっくりするか、とお茶などをすする。通された部屋は6畳ほどで、冷蔵庫はおろか、テレビもない。本当にゆっくりするしかないので、寝っころがって暮れていく空など眺めるうちにカンカンカンと鐘の音が響いた。
もそもそと支度をして別棟の広間へ行くとさすがに豪華とは言えないが、自然食風の食事が用意されている。
すでに食べはじめている人もいて、私もすぐに料理に箸をつけた。そうこうしているうちに十人ぐらいの宿泊客が集まった。
一杯やりたいな、と思ったがどうもその様な雰囲気ではない。話をしている人もいたが小声でぼそぼそと話をしていて、大方の人はしんと食事を進めている。
料理の味はよく、ゆっくり食べたかったが、早々に部屋へ戻ることにした。それはまるで禅寺で食事をしているような雰囲気に馴染めなかったこともあるが、最大の理由はその広間がとても寒かったという事によるものだった。この部屋の暖房は各卓の脇に置いてある火鉢だけだったのである。
部屋に戻ると早々に風呂へと向かった。
風呂はこの程度の規模の宿に似つかわしくないほど明るく広々としていた。体を伸ばしてお湯に浸かっていると、冷えた手足から開放感がしみ込んでくる。
お湯は無色透明で匂いもなく、ためしに少し舐めてみたが、味もない。鉱泉などといっても地下水か涌き水を沸かしているだけで、まあ、こんなものだろうとは思っていたが、その分を風呂の広さが十分にカバーしている。
先客が湯から出た。体でも洗うのかと思ったが、その客は入り口とは反対のほうへ歩いて行き、そこにあった小さなドアから外へ出ていき、しばらくして戻って来た。
少しするとまた別の客が外へ出て行き今度はすぐに戻って来た。
露天風呂でもあるのだろうかと私も腰にタオル姿でよく冷えたつっかけゲタを履いて外へ出てみた。
するとそこは裏庭のようなところで、少し先の崖下に小屋のようなものがある。
十分に暖まった体でも辛い寒さをついてその小屋まで行ってみると、そこには水の湧き出し口があった。しかも飲用目的であるらしく、ひしゃくが添えてある。
この水を沸かして風呂にしているのだろう。無色透明、無味無臭、でも何か効用があるのだろうととりあえず飲んでみる事にする。ひしゃくが少し鉄臭いなと思ったが、一気に口にした。
すると、とたんに舌を刺すような刺激と、鉄錆のようなすっぱい味が口じゅうに広がって危うく吐き出しそうになった。
どうやら、この清水がこの鉱泉の本命で、これを飲みながら湯に浸かるというのが本当のやりかたのようである。
そこで、味と匂いを我慢して、二口三口と飲んだが、あまりの寒さにすごすごと湯船に逃げ込んで行ったのであった。
風呂から上がり、思いがけず奇抜な風呂にめぐり合えた事を喜んでいたが、何も無い部屋でぼーっとしていても仕方ないし、一杯を飲みたくもあったので、帳場でビールとコップを受け取って談話室へ行ってみた。
談話室には何人かの先客がテレビを見たり、将棋をさしたりしながらくつろいでいた。
皆親しげに話をしていたので、初め団体で来ているのかと思ったが、話に加わってみると、ここで長逗留しているうちに知り合った仲間であると言う。
長逗留?と思い更に話しを聞いてみると、胃潰瘍の手術をしたとか、ガンで胃を切り取ったなどという人ばかりで、湯治に来ているのだそうだ。
ここのお湯はよく効くよー。と言われ始めて鯖江のバス停での老婆の言葉の意味がわかった。
その時の私はといえば、2週間にわたる旅行の荷物を詰めた大きなリュックを背負っていた。その格好で内臓の病によく効き湯治に使われる湯へ行くと言えば誤解されるのも無理は無い。
あの老婆の様子は「お気の毒に」という気持ちが現れているのであった。
翌朝も鐘の音を合図に朝食にと大広間へ赴いた。この宿の本当の意味がわかったので、昨晩と同じ雰囲気であったはずの食事が、和やかに進んでいる様に思え、火鉢で手を温めながらゆっくりと食事をとる事が出来た。
9時過ぎのバスで宿を立つ。空気だけを運んできたバスに乗り込んだのは3人。地元の人ばかりで宿から旅立つ人はいなかった。
後に源泉を沸かした薬湯が別にあり、男女1時間交代でその湯を利用する様になっていたことを知り、案内の女性に風呂の入り方を知っているかと聞かれた時「知らない」と答えておけばこの薬湯に浸かることが出来たであろうに、と悔やまれた。
再訪したいと思っていたのだが、惜しくも1999年に旭旅館は廃業してしまい、かなわぬ夢となってしまった。
--第9号(平成14年6月8日)--
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コメント(2)
先ほど行ってきました。
ナビに出たので。
検索するとここにきました。
ブログ内容すごいなあと思いました。
温泉をそれた先の道も2kmほど走るとナビからなくなり山道になっており、福井市にも南越前町にも出れないようでした。
雪も多くて諦めました。
2019/1/14(月) 午後 9:01 [ yunn ]
> yunnさん
ありがとうございます。
行って来られたとの事で旭旅館はどうなっていたでしょうか。
鉱泉はまだ人知れず湧き出しているのでしょうね。
2019/1/15(火) 午前 6:08