咳が続いてから

私も兄ジャも

何度も母に病院に行くように言っていた


でも頑固なまでに行かないと言った


それは

11月から忙しくなる私たちの仕事に

往復3時間の病院に行くのに

私達を拘束するのに

気が引けたのかもしれない


もしくは

ただ怖かったから  かもね





父の時は

消極的だった兄ジャが

母の時は、実に積極的で



12月13日


-8度の朝

兄の運転で函館の病院へ

ブラックアイスバーンで滑りまくり



私はね、気管支炎?とか

例え肺癌であっても

手術でなんとかなると思ってた


だって元気なんだもん



前回の12月5日の事を書いた記事の

前日の4日、お酒に酔って立ち上がる時に

よろけて頭をテールブルにぶつけて


私は怒ってお酒を取り上げたの



暫く飲まさないつもりだったんだけど

翌日に肺癌の疑い……


まぁ飲め、とお酒を注いだよね🤣




話がそれました



紹介状を持って病院へ行き


レントゲン、CTを撮り

散々待たされた後に診察室へ




もうね、


目を疑う


肺の腫瘍の大きさに ………




あちこちに散らばった癌細胞


特に肝臓は

まるで草間彌生の水玉のように

肝臓全部に癌がはびこっていた





母は

その画像を眺めている

どんな気持ちだったんだろう



この時点で告げられたのが


肺癌のステージIV




そして 今後どうするかの選択を強いられた



待合室に戻り

話し合った


母は

抗がん剤は絶対に嫌だと


うん、私も高齢の母が

抗がん剤治療をすると

体力的にそっちのダメージが強いと思った



例えば抗がん剤をして

1ヶ月の命が延びたとして

その1ヶ月が最悪ならば…………と




でも

まだ肺癌の種類を調べる検査を

しないとなので、

検査入院の手続きをした



この検査がとても辛いらしく

母はとても怖がっていた


でもさ、頑張ろ!と私は言った



入院は12月17日


せめてもの願い

どうか大人しい癌であってほしい





超ミニスカートの可愛い母