えっと



昨日の夢は 拓哉なんて無縁ううっ...






マラソンしてる夢でした。



このワタクシが、怠け者の 飲んだくれの 努力とは無縁の(笑)


ワタクシが走っておりました。


そして、走るの気持ちいい~って思ってました。



・・・・・・・・・・ありえんふっ









思い出していたことがあります。




にゃんこが17歳の時に 乳がんで亡くなった伯母。


母の姉。



母より15歳 上だったから一緒に暮した事もないという 母の姉。







私が小さい頃は 隣の家で暮らしていた。



もちろん、 借家同士さ。







子供のころは 指がバチっとなる おもちゃのガムや煙草を


おばさんの家に持って行き


「おばさん、たばこ吸って」と差しだし


おばさんは 騙されてくれるという そんな遊びに夢中だった。







伯母一家が遠い地に 引っ越していったのは 私が小学校2年生の時。





当時、脳腫瘍がわからずにいた おばあちゃんも一緒に連れて行った。





おばあちゃんは ひどい病院で ひどい仕打ちを受けながら


遠い地の病院で 研究材料にされ 亡くなった。





大好きな おばあちゃん。



いっつも いっつも 笑ってる おばあちゃん。





でも、その病院から


今は、脳外科で世界的に有名な テレビにも出ている すご腕の外科医が誕生した。




おばあちゃんが 医学の進歩の為になったのかな・・・・



って思う事にしている我が家。







付添婦にさ 「この人 もうすぐ死ぬから!」って 怒鳴られてて。




久々に 母(おばあちゃん)と対面した 母(にゃんこの母)は、その対応に怒って 病院側に 訴えてたのを覚えている。


そして、伯母にも怒っていた。





でも、今となって思うこと(母が言う)


離れているからさ、普段面倒をみている 伯母は違う大変さが いっぱいあったんだろうと思う。








そのおばさん。



乳がん。




もちろん 当時は全摘。



リンパも根こそぎ 摘出。





で、効くかどうかもわからない ホルモン療法。


抗がん剤。




当時は治療法も確立されてなかったから、


きっと すごく辛かったと思う。




とても気丈な人だった。



泣いた姿なんて 見たことがなかった、という母。





が、胸を全摘した時は 泣いたって。







その後、5年は再発もなく 元気に暮らしていたが



気付いたときには 様々なところに転移しており



治療をするも、亡くなってしまいました。






私、なぜか おばさんに守られている気がするんです。




おばさんが亡くなったのは 私が17歳の頃。



持病のアトピーが再発していた時でした。





右手の親指が 特にひどくってさ、


ぐちゃぐちゃ状態。


常に傷バンを2枚。




その状態が2年間続いていました。



何を塗っても治らない。





その当時の写真。



私の親指には 必ず傷バンが貼ってあるんだ・・・。







それがね、おばさんのお葬式のとき、(車で6時間の距離)



おばさんの家に行って 色々と整理してて



そしたらね、おばさんが使っていた 「アロエ軟膏」があって。





みんなは 捨てるっていってたんだけど、


まだ使えるからって 貰ったんだよね。






葬儀も終わり 家に戻って 思い出したように アロエ軟膏をさ



ひどい状態の親指に塗ってみたの。








本当にありがとう。


信じられないけれども、私のひどかったアトピー。



全部全部、きれいに治りました。


それも、数日間で。






その「アロエ軟膏」使い終わって、新しいのを買ったんだ。





が、効かないんだよね。







そんな事とかさ、



私が 乳がんを発覚した奇妙なきっかけとか



きっと おばさんが守ってくれているんだなって思うんだ。






なのに 小さい頃



「おばさんの顔 ブルドックみた~~い」って言ってごめんなさいじゅる・・



いや、マジごめん(笑)





だからこれからも 守ってくんなまし~~~~354354